2012・9・9 オスプレイ反対国会包囲行動

 9月9日は重陽の節句。ああ、月餅を食べる日だな。卵の入ったやつはあまり得手じゃなかったなあ、などとぼんやりしていた休日だった。いや、午後から仕事を控えてはいたのだが。

 
 TWITTERを眺めていると、どうやら今日国会前で何かあるらしい。オスプレイ反対の沖縄での集会に呼応する試みのようだ。昼ごろには終るそうだから、仕事には間に合う。さて……と逡巡しながら、結局のところ出かけることにした。


 11:00頃から始まるようだったのだが、ぐずぐずしていたせいで、また最寄駅の判断を間違えたせいで少しばかり遅れて霞が関界隈にたどり着く。えらいこと日差しがきつい。日比谷公園のほうから経産省のあたりへ、ここまでくればおおよそ勝手が判る。坂を上っていくとずいぶんと大きな声が響いてくる。国会前の声がここまで響いてくるか、すごいなあ、と思っていたが、なんだか様子が違う。ぶっちゃけていえば、ガラがあまりよくない。ずいぶんと感極まっているだろうか、と思っていたら、いわゆる右翼と思しき人々であった。いわゆる国会前庭のあたりになろうか。


 僕が近づいたころにはマイクアピールはやんでいて、何だかお巡りさんたちともめているようだった。お巡りさんは、僕の見た範囲では、しっかりと交通整理をしようと奮闘しておられた。反原発にかかわる行動に際しても、ああ、よくやってもらっているなあと思う時と、「何もそんな権柄づくじゃなくてもいいじゃんか」と思う時とがあるのだけれど、今回は明らかに前者。警察をなめちゃいかんことくらい判っているが、まっとうな交通整理をしてもらっているのはそれとして最低限の敬意は表すべきだろう。そう思ったので、この日は見かけるお巡りさんになるべく「お疲れ様です」とか「ありがとうございます」くらいは言うようにしていた。若いお巡りさんなんかだとはにかんでくれたりしてなかなか好感が持てたし、ずいぶん年配のお巡りさんはえらくびっくりした様子でもあった。


 この右翼と思しき皆さんが何をどう主張されていたのか知らない。だいたい外国の基地を許していることが独立国家としておかしいのであって、同じくオスプレイ反対を叫んでいたのであればよいのだが……。のぼりだかプラカードに「日教組」の文字を見つけ、さて、日教組がどうしたという主張なのだろうな、と思ったものの、ここで時間を食うわけにもいかない。国会前へ前へと進んで行く。

 
 オスプレイ反対、基地反対に交じって、原子力規制委員会人事案反対の署名を集めている人なども結構いて、ああ、マルチイシューというのはこういうことか、と思う。いいとも悪いとも思わない。こういうことが「あり」な場なんだろうな、というただそれだけのこと。「あり」の場もあれば、「なし」の場があっていい。どちらを選ぶかは好みの問題だろうし、別にどっちかでなきゃいけないなんて事もないだろう。色んな場がありゃいいだけのことだ。

 
 憲政記念館のあたりにまで人が伸びていたのが11:40頃であったろうか。そこまで言ってから国会前のド正面に戻ってきた。参加者はどんどん増えてくるようだ。マイクアピールやシュプレヒコールも断続的に行われる。シュプレヒコールは、反原発の最近のものに比べればやや間延びした印象を受けるが、これはこれありなのだろう。僕は音楽のことなどさっぱり判らないが、詳しい人は何かこうした違いについて語ってくれるだろうか。


 ドラム隊の皆さんもいる。反原発で見かけたような方もおられるようだ。そういえば、参加者と思しき中にも官邸前で見かけた顔もあるし、スタッフと思しき人の中にも見かけた顔があった。顔は知っているが、名前も知らなければ口を聞いたこともない。こんなことで「連帯」を感じるほど僕も若くはない。けれど、やはり何かを感じることは事実ではある。


 国会前の、ちょっとした石垣のあたりに腰掛ける。そろそろ手をつないで国会を包囲しよう、という時間らしい。手はつなげないな、と思った。こっ恥ずかしいやい、という思いももちろんある。それ以上に、数年前の記憶が、僕を思いとどまらせる。

 
 2年ほど前、ひとりで議員会館前に立ったことがある。時は鳩山内閣、普天間の問題がクローズアップされた頃のこと。その時のことは当時記しておいた。が、この時には書かなかった/書けなかったことがある。


 この前後に、何度か僕は国会前に行っている。官邸前の要請行動も何度か行った。もっともこれは半ば野次馬のようだった。きっちりとプラカードを持って立ったのはこの一回きりだったのだけれど、何か意思表示は出来ないものかと、あてもなくうろうろと何度もしたのであった。


 この頃、TWITTERで知った、ある人の行動が気にかかっていた。この方の提起は、国会の近くで意思表示をしましょう、黄色の布を持ちましょう、別に何をするでもなく……そうしたものであった。ひとりでも出来る、静かにでも出来る、そうしたことだった。


 ひとりでもできることをまずはやってみよう、と思っていた当時の僕には(今もあんまり変わっていないつもりだ)、非常に共感というか、尊敬できる提案だった。

 
 何度か国会前をうろついた時に、果たしてその人はいた。やや大きめの黄色の布を、ひざかけのようにだっかショールのようにしてだか、とにかく体にやんわりと身につけ、坐って本を読んでおられた。その時僕も確か黄色のTシャツを身に着けていた(そうだ、駒込のどぅたっちで残り少なかった在庫を買い求めたのだ)。

 
 あなたの提起と行動に敬意を表します、そうしたことを何とか伝えたいと思ったのだけれど、出来なかった。しばらく逡巡したのち、逃げるようにその場を去った。気後れしたというのももちろんあるけれど、僕のような沖縄に一度も行ったこともなければにわかに何か行動しようとあがくような人間が果たして何を言えようか。いや、頭ではそうした人間が何らかの意志表示をすることが大事なのだと、理屈では、理論では、判っている。けれど、何も言えやしなかった。しかし、その時のその人のたたずまいは、どこか凛としていて、おそらく人間の気高さとか美しさというものを具体的に挙げてみろと問われるならば、この光景を僕は挙げることだろう。


 その時その人がたたずんでいたのが、ちょうどいま僕の腰掛けている場所のあたりであった。あれから自分は何をやってきたか、あるいはやってこなかったか。そんな思いにとらわれると腰がなかなか上がらない。ここまで来て「人間の鎖」に参加しないのはよくないだろうとは思う。けれど、駄目なのだ。


 さあ、では僕は何しにここに来たのだろう。結局見たいものをしか見ず、聞きたいものしか聞かぬ、そのためにか。あるいは何かを見、何かを聞く、その自分自身を認識するためにか。政治的社会的主張は、ある。確かに、ある。それを踏まえた、いわば「メタ」ともいうべき視座が獲得できないものだろうか。


 初手から破たんしそうな問いに、どうやら掴まれている。
[PR]

by todoroki-tetsu | 2012-09-18 00:05 | 運動系 | Comments(0)

<< 上告 中下大樹さんの言葉(『葬式プラ... >>