2012・8・23の各紙朝刊、別名「『運動』もしくは『問題』について」(その五)

 2012年8月23日付け「東京」も、原発に反対する人々と首相との会談を大きく扱う。


 2面「世論配慮も自説曲げず」との署名記事(関口克己さん)。「大きな音」発言から会談に到るまで、反原発連合側がいわば押してきたような、そういう印象を受ける。しかし、やはり実態としては再稼働を推進する姿勢には変わりがない、と。


 情勢認識として、おおむね妥当と思われる。ここから先は、この記事を読む者ひとりひとりが考えていかなくちゃいけない。どうすれば、姿勢を変えられるのか。


 社説は明快に説く。
 

 市民団体の側にとっては、首相との面会はゴールではなく、通過点の一つにすぎない。

 原子力規制委員会の委員長と委員と人事案の撤回を求められた首相は「最終的には国会に判断いただく」と述べた。同意人事の可否を判断するのはもちろん、首相を選ぶのも、原発政策に関する法律をつくるのも国会だ。

 脱原発を揺るぎないものにするには官邸前のエネルギーを実際の投票行動につなげる必要がある。


 要するに、「選挙に行こう」ということだ。


 さて、僕は選挙を棄権するという意味がまったく持って理解できない人間である。わずか二年の海外生活でも、まっとうな手続きをして選挙権を行使した。本年2月5日京都大学で行われたシンポジウム、「日本から見た68年5月」でも、いわゆる左翼と思われる研究者が投票行動への懐疑と、選挙に行ったことがないと発言したことには極めて違和感を覚えたくらいである。

 
 投票して何になる、という思いはある。それは判る。しかし、それと選挙に行かないのは別の問題だろう。考えなければならないとしたら、例えば以下のような言葉でしかないように思われる。2008年6月27日のシンポジウムにおける大澤信亮さんの発言(「ロスジェネ 別冊2008」、P.37)。


 編集委員を一緒にやっていて申し訳ないのですが、僕は共産党員ではないので言いますけれども、議会制のなかで共産党が議席を増やして、それが革命だというような議論には到底納得できない。そのようなレベルの「連帯」が革命に到らず自己矛盾や現実乖離で崩壊していくとすれば、それは現実の多重性や多層性を国民国家や市民社会の水準に切り詰めたことに根があると思う。逆に言えば、べつに共産党員じゃなくても、資本制のなかで普通に暮らしているだけでも、ある種の革命というか変革というか、そういうものに携わることができると思っています。


 ところで、この投票ということ、その結果における国会の議席ならびに内閣という一連の流れの強調は、同日「読売」の各所における論調の裏返しのようにも思われる。かたや投票で変えよう、と呼びかけ、かたやかつての投票の結果であるところの現在の国会・内閣の現状をもって反原発の動きを批判する。


 どちらも議会制民主主義を疑っていない、と皮肉ることは出来よう。しかし、僕はそうは思わない。直接行動も大事だし、投票も大事。あらゆる機会を活用すればよい。但し、直接行動にせよ投票・選挙にせよ、それとして独自の動きや課題があるのであって、それらに過度に呑み込まれないように気をつけよう。ただそれだけのことだ。

 
 「東京」29面では、さらに詳しく当日の状況を追う。加藤文さんの署名記事。小田マサノリさんの言葉が中心となる。

 
 「政府が子どもたちにも分かるように原発をやめると言わない限り、この抗議は決してやめない」と、最後は涙ぐんだ。東京電力福島第一原発事故で失われたものの大きさを顧みず再稼働を決めた首相を前に、悔しさがこみ上げたという。


 こうした行動を行った人々を、揶揄するような週刊誌報道には心底苛立ちを覚える。しかし同時に、書店員である僕はよく分かっている、週刊誌の見出しというものがいかに「ニーズ」に即したものであるかを。「敵」が外に在ると思っちゃあいけない、と自分に言い聞かせる。


 記事はさらに続く。

  
 「今日は直接民主主義の場所だった。今のように間接民主主義が機能していない場合は、名もなき民が主人公だということを思い出させる上で、一定の意味があったのではないか」と考えている。


 岸信介氏の「声なき声」論に対する反論の、これはひとつでありうる。この点は、批評家を中心とする文学者の皆さんの活躍を心から期待している部分である。「声なき声」は誰が発するのか、「声なき」と判断するのは誰か……。言葉のプロたちがどのように反論していくかと期待しつつ、その間読者である僕は如何なる言葉であれば納得するのか、と自問していこう。


 この記事の最後では、水曜日に行われている反貧困行動に参加する人の声が拾われている。

 「反原発の人たちのように、首相が会ってみようと思えるほど、反貧困の運動を大きく広げていかなくては」

 
 読む者に自問と課題の広がりを感じさせる、みごとな記事であった。
 
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by todoroki-tetsu | 2012-09-03 10:31 | 批評系 | Comments(0)

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