2012・8・27「毎日」夕刊

 8月23日の新聞のことがまだ終わっていないのだけれども、今日のことは今日記そう。


 「毎日」の今日8月27日の夕刊1面には「1年半ぶり 校舎に歓声」とある。椅子をもってにこやかに廊下を歩く小学生の笑顔の眩しいこと。


 職場で、ネット上ですでに読んではいたし、写真も観た。ああ、広野町といえば、この2月に足を運んだところではないか。強風の中、ガタガタと震えながら遅れに遅れた列車を待ったことが思い起こされる。地図を調べてみる。中学校までは行ったのだが、今回再開されたという広野小はもう少し山側のようだ。


 子どもの姿が見えない町は、さびしい。子どもたちのいる町は、にぎやかだ。けれど……。


 記事によると、「多くの児童生徒は県内外に避難したままで、戻ったのは在籍数の2割前後」とある。人数で言えば「小学生65人」「中学生31人」だそうだ。


 今回投稿した子どもやその家族も、避難したままの方々も、それぞれの思いがあるのだろう。9面の中尾卓英さんの署名記事はその葛藤をみごとに描写されている。


 「安全」というものが、こんなにも得難いものであるということを。そして、何と多くの「分断」が生じてしまったのか、その重さを。僕が思い知るということは出来ない。そんな失礼な真似は出来ない。ただ、想像する。そして、出来る限り、争わなくていいものどうしが争わなくていい日々がくることを、今を生きることが未来を生きることに繋がるような、そういう生き延び方をひとりでも多くの人が出来るようになればいい、と願う。願う資格すら、ないかもしれないが、それならせめて、そういう大変さを抱えざるを得なかった人のことを、忘れないように努力しよう。


 棄民、という言葉が時折頭をよぎる。誰かを見捨てる社会や国において、自分がいつ見捨てられるかどうかは知れたものではない。いつ何時……という不安。そうした不安を「こっちだって大変なんだ」というようにして他者と自分を切り離そうとすることも出来る。「自分の感ずる不安と、ひょっとすると重なりあう部分があるかもしれない」と想像することも出来る。

 
 出来得る限り、後者の途を選ぶようでありたい。
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by todoroki-tetsu | 2012-08-27 23:49 | 運動系 | Comments(0)

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