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読者である、ということ

 小林はどのように「書い」ていたか。

 「作者が答へなかつた事を、僕が答へてはならない」――この種の、「禁止」あるいは制止の標識は小林のこのテクスト中にいくつも散見される。「『五分か、それ以上も経つた』と作者は書いてゐるのに、読者は、ここで何故一分の沈黙さへ惜しむのであらううか」「傍点を附したのは作者である。読者は、暫くの間でもいい、足をとめて、かういふ傍点を附する時、作者はどういふ想ひであつたらうかを想ひみるがよい」「これはどういふ意味なのであらうか。といふのは、ここでも亦読者に暫く立ち止まつてほしいと希ふだけなのである。一体どんな説明が可能だといふのだらう」


 山城むつみ、「小林批評のクリティカル・ポイント」(『文学のプログラム』、講談社文芸文庫、P.28-9)



 無精して小林秀雄を孫引きしているかに思われても致し方はない。が、山城さんの批評文を通じてこうした小林の言葉に出会ったこと。僕にとっては重要に思える。

 
 ここで書かれていることは、例えば『ロスジェネ』最終号では実践されたことであり、また、同時代の文学者と文字通り同じ時間を生きている以上、彼らが言葉を繰り出すまでに要する時間を、まったく同じ時間でもって読者である僕は生きている。


 トートロジーなのは百も承知だ。


 彼らが言葉を繰り出そうともがく間、僕はどのようにして生きているのか。彼らが言葉を発する時、それまで等しく過ごしてきたであろう時間の意味が、読者の僕には問われることになる。彼らの言葉をただ待ち望んでうろうろとしていただけなのか。なんにも考えなかったか。どういった言葉が今の時代にありうるだろうか考えながら過ごしてきたか……。


 書き手にとって自らの言葉を何らかで発するのは、ある種の審判を待ち望むのに等しいのではないかと思う。もちろん、これはこれ、と切り離すことも出来ようが、届けたいと思う人に届くこと、或いは「誤配」が思わぬ結果(よいことも悪いことも)を引き起こすことも、彼らは十二分に知っていよう。


 読者である僕にとっても、それは同じことなのだ。じゃあ、お前はこの同じ時間、何をやってきたのだ、と。それは「書くために読むのではなく、読むために書くという感覚」のようにも思えるし、くそまじめに仕事をすることかもしれないし、いや、あるいはヤケになって酔っぱらうことだって、ひょっとするとそうした「準備」であったりするかもしれないのだ。たぶん、守るべきことはただ一つ。

 
 それは、目先だけの言葉で喜ぶな、ということだ。口先だけで通用する言葉や耳触りの良さ――「社会人」にとっては耳にすることも口にすることも必要ではある。けれど、そうした言葉を、そうしたものだと自覚することだけは忘れずにいよう。安易に言葉を消費するな。


 そうした自制=自省を、いつの頃か意識し始めたのかは判らない。しかし、自覚的に影響を受けたひとつは、明らかに作家・浅尾大輔さんのブログ休止宣言であった。

 
 江藤淳にふれたエントリよりも、「西へ、西へ」と題したエントリの方が僕にとってはより心をつかまれるものであった。

 さて、ブログ読者のみなさん、唐突ですが、

 だいたい、これで、わたしは、すべての状況について、言い尽くしたので、ブログを中止いたします。


 
 確かに、唐突に過ぎた。日付は2011年4月6日。震災からまだ一月も経っていない。誰が何を言っているか、書店員という商売柄から、また一個人としても、やたらに気になってTWITTERやらブログやらをかたっぱしからのぞきながら、渡辺一夫を読んでいた。そういう時期にあって、「だいたい、これで、わたしは、すべての状況について、言い尽くした」と言い切った文学者がいたことは、その後の展開がどうあれ、僕にとってはおそらく忘れがたい出来事であり続けるだろう。


 その後も、大変細々とした更新がされていることは知っていた。なぜなら、毎日浅尾さんのブログを覗くのは僕の日課だったから。更新されていなければいないで、きっとこの状況下で何かを着々と準備しているに違いないのだから。「モンキー・ビジネス」の最終号に小説を載せることを知ったのも、ブログからであった。それは実にひっそりと更新されていた。それでよかった。

 
 たまにエントリが更新されることがあったが、それはご自身の言葉ではなく、そこに思いは仮託されているのだろうけれども、基本的には他者の言葉であった。文学者としての、というよりも、いわば活動家としての顔を覗かせたのだと解釈していた。その典型は2012年2月10日のエントリ「ウォール街占拠2011 / Occupy Wall Street 2011」であったと思う。僕は勝手に、湯浅さんの「社会運動の立ち位置」(「世界」3月号)への浅尾さんなりの応答なのだろう、と解釈していた。


 それからも、告知的なエントリがしばしばあったけれども、どうやら徐々にブログとしては再開しているように思えてきた。そのおかげで様々な情報を知ることが出来るのだし、どうやら生存しておられるようだとも判るわけで、一方的な安心感を得たりもしていたのがこの1~2か月のことであった。


 しかし、それらのエントリを読んでいる自分は何なんだろう、とずっと考えていた。先に「毎日浅尾さんのブログを覗くのは僕の日課だったから」と記した。あんまり技術的なことにくわしくない僕は、決まったキーワードで検索するか、予めブックマークしているサイトを巡回するか、ぼんやりとTWITTER経由でサイトを覗き回るかくらいしかしない。そうした場合、当然更新がないよりはあったほうが変化があって楽しいわけで、さて、そうなると、自分は単に浅尾さんのブログに変化さえあれば楽しいなというくらいにしか考えていないのではないか。


 「目先だけの言葉で喜ぶな」との自制=自省はどこへ行ったのか。同時代の文学者に期待を寄せるというようなえらそうなことをこいておきながら、結局のところ同時代の文学者の言葉を「ネタ」程度に考え、貶めているのはお前自身ではないのか、との自問。「胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところ」(中野重治)を――「歌え」ではない――、そうした言葉を読者としてほんとうに「読もう」としているかどうか。


 「作家は、作家をやめることは出来ない。」と題し、いわばブログ再開を公式に宣言された。作家にとってブログがどのようなものであるのかは、各人と状況によって大いに異なろう。


 「作家は、作家をやめることは出来ない」。少なくともそうした決意でブログを再開し、また「目下、与えられている大きな原稿を書き抜きたい」と表明しておられる以上、僕も「読者をやめることは出来ない」と言わなければならない。

 
 やはり、読者としての自分を鍛え上げていくより術がないのである。

by todoroki-tetsu | 2012-06-18 16:18 | 文学系

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