「ヒーローはいらない」(「毎日」)

 今朝の「毎日」朝刊9面「発信箱」、永山悦子記者による「ヒーローはいらない」という記事を興味深く拝読した。「支援者」と支援される側の問題について、おそらく極めて正しいと思える指摘をしておられる。


 災害医療の学会でのエピソードに基づき、ごく一部ではあるけれども、いわば「わがまま」な支援者がいたということ、「一歩間違えると支援者が被災地を困らせる存在になりかねない」ということを指摘した上で、こう締めくくっている。

 
 支援はまだまだ必要だ。そのとき支援者がヒーローになってはいけない。支援を必要とする人こそ主役、ということを肝に銘じたい。



 
 さて、翻って自分の職場である書店現場を考えてみる。おおよそ予想はしていたが、それ以上にいわゆる震災・原発本、あるいは3・11本ともいうべき新刊のラッシュが先週から相次いでいる。例えば岩波書店さんのように、比較的早くから予告の上で新刊発売を早めますとご案内を頂いていたようなところはまれで、あいついでファックスが流れてきて、慌ただしく部数をつけて返信する、ということが立て続いている。もちろん、通常の配本まで考えるとキリがない。誰が数えたのか知らないが、この数週間で数百アイテムの震災関連本が出る予定だとも聞く。


 棚は有限である。ある程度見越してスペースは確保したけれども、追いつかない。下手すると平積みしていたのは1日、なんて新刊もある。棚担当者として、もはやパンク状態である。


 それだけの新刊ラッシュに見合った実売が上がればそれでよいのだけれども、そうはなっていない。『プロメテウスの罠』のようなものは別格である。あとはチョボチョボというところだ。こうなってくると、棚担当者としては自分の制空権である棚を侵害するものとしてしか新刊を見ることが出来ない。極めて冷徹になっていく。社会的意義とか、「この本の印税の○%は被災地に寄付します」といった言葉に、反応する余裕がなくなっていく。POPを持ちこまれても「長いこと平積み出来ないので」と断ってしまうような次第。


 あと数日で迎える3・11、またその後どのようなニーズが発生するかは未知数だ。なので頑張ってもう少し様子を見ようとは思っている。けれど、少なくとも現時点だけを切り取ってみれば、新刊の初速に見合うだけの売上実績をあげているのはほんのごく一握りであって、その意味では書き手・出版社の論理と読み手・顧客の論理は、合致しているとは言い難い状況にある。


 もちろん、本という商品は初速だけが勝負ではないし、今この時に出さなければならないというものも勿論あるだろうとは思う。だが、今回の事態は今までに経験したことのないスピードだ。皆がよかれと思って様々なエピソードや写真、「事実」、物語を形にしている(と信じる)。が、その「よかれ」という思いの結果、溢れだす本たちをどうすればよいのだろうと途方に暮れている。


 どうすればいいのか。永山記者の記事は教えてくれる。「支援者がヒーローになってはいけない」と。支援される人を主役にしているように見えながら、実は「支援される人を主役」にしようとしている「自分(書き手・作り手)」を疑わないものがないかどうか、注意深く見極めよう。それは印税や売上を寄付するかしないかといったこととは関係がない。


 そして、それを見極めようとする書店員としての自分をもまた、つねに疑い続けよう。
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by todoroki-tetsu | 2012-03-06 21:03 | 批評系 | Comments(0)

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