書店員イデオロギー論(7)「社会問題/運動」と単行本

 社会運動としての出版、という考え方はあり得る。それには相当程度賛成する。書き手、編集者、営業さん、出版社としては、十二分に成り立つ考え方であろう。書店員においては、部分的に成立する考え方であると考えておいた方がよさそうだ。そんなことについて今日は。


1.基礎イメージ
 
 まず、社会運動とは何ぞやという問題なのだが、その手前(?)の社会問題から考えてみよう。この定義をどこかで誰かがやっているのか、僕は知らない。例えば水俣病、例えば原発の問題、例えば小沢さんのおカネの問題、例えば消費税の問題……具体的に挙げていけばおそらくキリがない。ひょっとすると、あらゆる問題は社会問題だと言いうるのかもしれない。が、混乱を避けるために、ここではひとまず、吉本隆明さんの「三人の世界」という定義を借りておこう。講演「宗教と自立」より。
 
 
 かんたんにモデルでいえば、ひとりの世界というモデル、それから二人の世界というモデル、それから三人の世界というモデルをつくれば、人間の観念の世界は全部了解することができるでしょう。多数の世界において起る問題の原型は、三人の共同性の世界で起る問題を徹底的につきつめることによって理解することができます。

                          吉本隆明、『<信>の構造 2』、春秋社、P.220



 これは「観念の世界」について言われていることだけれども、概念整理には非常に役立つ。要するに、個人的な問題とか、二人だけの問題ではなさそうな問題を、ざっくりと社会問題であると認識しておこう。その程度のことである。

   
 さて、これらの問題に、何らかの行動・言動をもってアプローチしていこうとすることをひとまず社会運動としておこう。問題ごとに組織が創られるかもしれない。予めある組織が何かを行うのかもしれない。組織といってもいろいろあるだろう。一人で起つのも運動ではあり得るが、他者への働きかけをそれは前提とする。


 余談だが、一人で何かすることで、運動と言いうるかもしれない、と思えることで自分がやったことは、学生時代に何度かやった個人署名入りの立て看板づくりとか、数年前に手製のプラカードを持って国会前(議員会館前)に突っ立っていたとか、そんな程度のことしかない。誰かに伝えたいという思いはあるが、その行動は一人で責任を負う/負える範囲でやろう、という発想であろうか。比較的最近ではしばしばデモの隊列にひっそりと加わらせてもらっているが、これで「運動」をやっている気になってはいけないと自戒している。企画・運営・実行する皆さんが非常に大変だろうことを思うと、おのずと自戒のモードに入っていくのである。



2.社会問題/運動を単行本にするということ

 様々な社会問題、またそれに対する働きかけとしてのいわゆる社会運動を活字化・報道することは、ブログなども含めるとかなりよく行われていることだろう。もちろん、大手の新聞・雑誌が云々といった問題はあるだろうけれど。

 
 新聞で報道されること(特集のようなものも含む)、週刊誌や月刊誌でそれらが記事なること、これらは非常に意義もあり、ニーズにも一定応え得ると思う。しかし、それらを単行本にするとなると、話は変わってくる。ここが僕の認識の中心だ。


 新聞・雑誌であれば、定期刊行物という性格からくるひとつの枠組み・パッケージの形式がある。その中の構成の一部を為す、という次元においては社会運動についての記事や論説は大いに許容されるであろうし、また、されねばなるまい(実際はなかなかそうではないだろうことはもちろん重々承知しているつもりである)。


 ここで、ふたつのパターンを想定する。いきなりその社会運動・問題の単行本を作ってしまう場合と、何らかの媒体での連載をベースに単行本にする場合。

 
 どちらも様々な成り行きでそうなるわけだろうが、いきなり単行本にする場合、ともすると陥りがちなのは、運動当事者もしくは運動に既に参加している人を励ます意味合いが強くなりがちなことだ。そういう本はもちろんあっていい。だが、高度に専門的ではない書店の場合に、僕はあまり積極的に陳列する意味を感じない(置かない、という意味ではない。誤解なきよう念のため)。

 
 例えば、「声を上げないのは賛成しているのと同じ」という言い方があったとする。その言葉そのものは、おそらく間違っていない。その言い方は、運動を頑張っている人、参加し始めた人を励ますかもしれない。しかし同時に、運動に現時点で携わっていない人に対してはある種の「拒絶」と受け取られることもあるだろう。

 
 もちろん、どんな物言いも100%万人に伝わるなんてことはあり得ない。今挙げた例でいえば、「そうか、だから自分も黙っていてはいけないんだ」と思う人もきっといるだろう。しかし、単行本全体としての方向性として、どんな人を想定しているのか、そこは書店員として意識せざるを得ない。特定の層を狙うのならそれでいい。運動の場で売ってくれればいいのだから。「社会問題に関心のある人」なんてあいまいな客層想定しか出来ないようなら、少なくとも書店で売ることは難しいと一度は、一度だけでも良いから、考え直してみてほしい。

 
 ところで、新聞や雑誌連載の単行本化の場合には、反響に基づき、想定される客層もある程度は事前に予測出来るだろうとは思っている。レイアウトや注釈、また必要に応じたまえがきなどの配慮は必要であるけれども。それがない、もしくは不十分なものがあるのは非常に残念だ。



3.モデルの整理

 以上を三人のモデルをベースに整理してみる。


 Aさん、Bさん、Cさんの三人がいる。この三人が意識している/いないに関わらず、さらされている問題を仮に社会問題だとしておく。


 さて、Aさんはこれは問題だと思い、その改善のための運動をしようと考える。Bさんはそれに賛同する。Cさんは「興味がない」といって賛同しない。


 ここでAさん、もしくはAさんとBさんを、主たる読者と想定する本には、僕はあまり積極的に陳列する意味を感じない。AさんやBさんは確かに買ってくれるかもしれないが、わざわざ本屋に来ずとも運動現場の手売りなどで購入しているかもしれない。来てくれても、AさんとBさんの最大2冊までだ。

 
 ここでCさんにいかに手に取ってもらおうか、と考えて作った本は、積極的に陳列したい。ひょっとすると、AさんやBさんにとってはわざわざ買うまでもない本かもしれないという可能性もある。けれど、「興味がない」といったCさんが買ってくれるような本であれば、Cさん――それは無数に連なるCさんだ――への販売可能性があるというものではないか。またそんな本であるならば、AさんやBさんも、Cさんを説得するための材料として買ってくれるかもしれない。3冊以上売れる可能性がようやく出てくるわけだ。

 
 着実に2冊売れる本を別段切り捨てるつもりはないが、必要以上に積極的に陳列するつもりがないのは以上のような意味である。無数のCさんへの販売可能性がある本があれば、積極的になってみようというものである。



4.「つくり」の問題

 とはいえ、Cさんに向けて本を作ろうとするのは難しい。結果としてなかなかうまくいかないことの方が多い。けれど、努力を放棄したらそこでおしまいだと思う。


 以上のようなことをもっとかいつまんだりデフォルメしたりして営業さんや編集者に伝えると、「それでも社会的意義が……」とか「本のレベルを落としたくない」などと言われたりする。何もCさんに向けることが別段社会的意義を貶めるとか本のレベルを下げるとか、そういうことではない。もちろん、何度でも繰り返すが、Aさん・Bさんにだけ向けて作る本はあっていいし、それはそれでありだが、それらを必要以上に積極的に陳列するつもりはない。Aさん・Bさんのことしか想定していないような本を「幅広い読者の方に……」なんて言われても別に注文部数を増やすつもりはありません。ただ、それだけのことだ。


 結果としてそれなりに堅調なセールスをあげている本もあれば、やはりなかなか結果には結びついていかないな、と思う本もあるけれども、内容を維持しながらちゃんとCさんのことも考えているな、と思う「つくり」を実現した本を3点あげて、今回のエントリの締めとする。


・雨宮処凛、『14歳からの原発問題』、河出書房新社

 雨宮さんの語り口に帰するところが少なからずあるが、かゆいところに手が届く注釈とよみやすいレイアウトが素晴らしい。


・園良太、『ボクが東電前に立ったわけ』、三一書房
 
 上記のモデルで言えば、かなりAさん・Bさんよりにはなっているけれども、これも注釈やコラム、また時系列の記述などで「読みやすさ」を確保している。編集者の力を感じさせる。


・中島岳志、『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』、金曜日

 まえがきならびに雑誌連載未収録分の対談を大幅に付加し、単行本ならではの付加価値化に成功した好例。強いて言うならもう少し注釈を増やしてもよかったかもしれないが、しかし初読者への配慮は十二分に感じさせる。また、書店店頭においては非常に重要なことだが、カバーの装丁(色遣いと写真)が控えめでありながら存在感をアピールするに十分。


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 明日、明後日で脱原発関係の大きな催しが行われるようだ。それをベースに何かしらの単行本の企画が生まれるかもしれない。本来は個人的な問いに沈潜すべきところを放棄し、あえて今日記してみた所以である。
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by todoroki-tetsu | 2012-01-13 14:20 | Comments(0)

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