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グスコーブドリ私論(8)

8.ブドリの死を分け合う

 ブドリの死を必然であり、甘美なものとして読む自分自身の中に、意味のある死への欲望を見出すところから出発し、ブドリがなぜ死なねばならなかったのか、その死はほんとうに他者を救い得たか、と思考を進めてきた。

 ブドリの遺言、「私のやうなものは、これから沢山できます。私よりもつともつと何でもできる人が、私よりもつと立派にもつと美しく、仕事をしたり笑つたりして行くのですから」をまっとうに受けとめるなら、犠牲者としてのブドリは再生産されてはならない、ブドリを「最後の一人」にしなければならない、そのように思えてくる。「ブドリのようになりましょう」ではなく、「ブドリの悲劇を繰り返さないようにしよう」でなければ、どうにもおさまりがつかないのだ。

 ブドリの死が、主体的な必然であったかのように見えて、実は追いつめられた必然でもあったとするならば、その情況を問うことなしに生き延びた誰かが、自分を棚に上げて他者に「ブドリになれ」などというのは愚行という他ない。安穏な場所にいて危険な現場にいる人を称揚することにまつわる胡散臭さを、僕たちはこの半年、散々目にしてきたのではなかったか。

 その胡散臭さが、自分自身に跳ね返ってくることも、また。

 意味のある死への欲望を、僕自身が抱いている限り、「ブドリになれ」という呼びかけに対して根本的に抗しえない。この欲望を断ち切らない限り、ブドリを最後の一人にすることは出来ない。

 ここで「意味のある死への欲望と僕は断絶しよう」などと極めてみたいのだが、簡単なことではないと自覚している。四半世紀にわたってそんな読み方をしてきた人間が、そうやすやすと考えを変えられるものではない。変えられると思う方がかえって危険だろう。

 奇妙な感覚が、生じてくる。

 ブドリをよだかの星のごとく孤高の存在として捉え、一人その星を見上げて祈りを捧げる、あるいはその星からの光に一人照らされてわが身を恥じる。この四半世紀の僕のブドリの読み方はこのようなものであった。

 しかし、ペンネン技師を媒介として読むことを通じて、ブドリの存在はより身近なものに感じられるようになってきた。おそらくは建てられるであろうブドリの生まれ育った森の記念碑の前に、「だまつて首を垂れてしま」うほかなかったペンネンとともに僕は居る。ブドリという人について、またその死について、そして生き延びた僕たちのこれからについて、静かに語り合うような。

 そう、ブドリの死は、一人で受け止めてはいけないような気がしてくる。誰かと、分け合っていかねばならないという気がしてくる。ひょっとすると、カンナがケンヂやマフィアたちの「遺言」を受け止め損なったのは、一人であったからではないのか。ケンヂの遺言を聞いた時、カンナ一人が子どもであった。オッチョやユキジ達は、その遺言を分け合うことでプログラムとして自分自身に組み込み得たのではないか。カンナとオッチョ達との決定的な差異はそこにあるのではないか。

 他者とともに、ブドリの死を分け合うこと。意味のある死への欲望を断ち切ることよりはハードルが低いかもしれないが、決してそれも易しいことではない。各自各様のブドリ像があるだろう。そのブドリ像には意識/無意識に関わらず、自分自身の欲望が反映してしまっている。だけれども、いや、だからこそ、ブドリの遺言のプログラム化は共同で進められなくてはならない。
 
 プログラムのたたき台とすべく、ブドリの遺言への応答を示して、この感想文を締めくくろう。

 「私のやうなものは、これから沢山できます」。
――確かにそうかもしれない。だが、その沢山のなかには、ブドリ、君自身もいるのではないか? 君だけが除外されるいわれはないじゃないか。

 「私よりもつともつと何でもできる人が、私よりもつと立派にもつと美しく、仕事をしたり笑つたりして行くのですから」。 
 ――だからといって君自身が立派でないとか美しくないとかいうことではないじゃないか。それにさ、そう言われて残された、僕たちがそうそう簡単に笑うことが出来ると思うかい? 君は忘れられることを望んでいるかもしれないし、実際忘れていく人もたくさん出てくるだろう。けれど、忘れようったってそうそう簡単に忘れられないことだってあるんだよ。

 そして僕たちはこう言わなければならない。これはある時のデモで耳にした言葉。

――ブドリ、いっしょに生きよう。

                                                     〈了〉

by todoroki-tetsu | 2011-10-21 11:43 | 批評系

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