グスコーブドリ私論(6)

6.ブドリの死は本当に他者を救い得たか?

 ブドリは、本当に他者を救い得たか?

 これは愚問に等しい。ブドリが冷夏を食い止め、不作とそれに伴って生ずるであろう飢饉を防ぎ、多くの人の命と生活を救ったのは疑いようがないからだ。

 結論を先に述べてしまおう。

 ブドリは他者を救いうる可能性(当面の生存)をつくることは出来た。しかし、その可能性の生殺与奪は、ひとえに生き延びた人間にのみかかっている。

 ブドリが自分自身を救い得たのは間違いない。そのことはまずもって確認しておこう。「あの年のブドリの家族」を見過ごすことはブドリには出来なかった。それを救わんとカルボナード島に一人残った、そのブドリ自身を救うことは出来たと思われる。そして、少なくともその死は他者の当面の生存の条件となった。

 僕が考えたいのはその先だ。ブドリの死=犠牲によって生き延びた側の人々のことだ。
 
 誰かの、何かの、犠牲によって生き延びる……そのことは何も大層なことではなく、日常的な光景だ。そのことを気づかせてくれる批評――大澤信亮「批評と殺生」(『神的批評』所収)――を、すでに僕たちは手にしている。

 生きることは食べることであり、食べることが殺すことであるならば、私たちにどんな希いが許されているだろうか。何も許されていない。この結論は絶対に思えた。そこから目を逸らしたすべての試みが空疎に思えた。今も思っている。


 このような衝撃的な問いかけで始まるこの批評に、今ここで立ち入ることは出来ない。だが、毎日のように経験する食事において何かを殺していること=犠牲にしていることを常に意識し続けることは難しい。いただきます、と手を合わせるとった次元の話ではない(それはそれで大切なことだが)。だからこそこの批評が重い意味を持つのだということだけを記しておくことしか今は出来ない。

 そう、自分が生きている日常において、誰かを、何かを犠牲にしているという感覚を持ち続けることには、根本的な無理がある。だから問わなくてもいいのではない。問わせないようにする力がおのずと働いてしまうと言いたい。

 そのような力が、完全にブドリの犠牲を忘却してしまうように働く場合もあるかもしれない。しかし、もっとも現実的に考えられるのは、ブドリを単に英雄化してしまうことによって、その犠牲の意味から目を逸らしてしまうことだ。

 ブドリは、間違いなく誰からも感謝される。ブドリの行為と、ブドリへの感謝の表明はともに称賛される。それは当然のことだ。その感謝の気持ちを基にした英雄譚も出来上がるだろう。ブドリの命日は、記念日として制定されるかもしれない。ブドリの生まれ育った森には、記念碑がたてられるかもしれない。書店員として言わせてもらえれば、仮に出版が発達していたら、何冊も何冊も新刊が出るだろう。

 そして例えばブドリの妹ネリの息子は、ブドリの素晴らしさを教えられながら育っていくだろう。ブドリおじさんのように立派になりなさい、と。

 自分たちを救ってくれたブドリに感謝の気持ちを形にすること。また、ブドリをある種の理想・目標とすること。それは実に極めて自然な感情の流れだ。誰も反対はすまい。

 だが、この自然な感情の流れに、目を凝らしてみたい。

 ブドリは失政とそれを許容した社会によって死に追いやられたのではないか、と僕は記した。こうした視点なくしてブドリを単に英雄化することは、政治と社会の問題を「ないもの」にしてしまうことになる。ブドリを死に追いやったのはあくまで自然のせいだ、というわけだ。自然なら、どうしようもない。人知を超えているから。

 ここに、罠がある。

 ブドリの単なる英雄化は、第二の、第三のブドリを生みだすだろう。森の中で楽しく暮していた幼少のブドリは無数にいていい。だが、自ら命を投げ出して他者を救わざるを得ないようなブドリは、そう再生産されてよいものだろうか。それでもなお、ブドリの甥っ子は「ブドリのようになりなさい」と育てられているだろう。そのような甥っ子は、何人もいるだろう。

 再び冷害は起きるだろう。その時にもまた食糧の備えを欠いていたならば? その時にも、技師の命を失うことを前提としてしまう火山局の組織と技術しかなかったならば? 

 第二、第三のブドリの準備は、飢饉にそなえる政治の実現よりも技師の死を守ろうとする火山局の姿よりも、容易に想像出来てしまう。ブドリの死を、単に覚悟を決めて自然と対峙した英雄とだけ考えていれば、おのずとそうなる。

 それは、ブドリの望んだことだろうか? ブドリはそんなことを希望して命を投げ出したのだろうか? 

 これを考えるために、まったく別の参照項を導入したい。
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by todoroki-tetsu | 2011-10-19 21:12 | 批評系 | Comments(0)

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