三田誠広『実存と構造』

 『実存と構造』……なんともはや時代がかったタイトルのように思える。が、故あって「実存」という言葉が今気になっているので購入した。わりあいに出足も好調の様子。

 
 こういういい方はよくないかもしれないが、さっと読める。思考のツールとして使うためのとっかかりとしてはなかなかによいのではないかと思う。例えば、実存の「起源」についての記述。


 ……宇宙と対決し、宇宙の偉大さと人間の無力を認識しながら、それでも人間の方が高貴だと宣言するパスカルは、この瞬間、神に対して、一対一で向き合っている。
 神と差しで勝負する。
 それこそが「考える葦」の勇気であり、心意気であり、神にも負けない高貴さである。
 実存としての人間はまさにこの瞬間から始まったといっていい。

                                                 (P.29)



 構造のほうはレヴィ=ストロースの話から神話、そして文学へという流れで語られていくのだが、関心を持ったのは以下のような記述。

 
 神話の体系や歴史的な視野の中に個人を置いてみると、当人にとっては困難な状況であり、やりきれない苦悩をかかえているようでも、神話や歴史の長大な体系中では何度も繰り返された「よくある話」にすぎないということになる。大げさに悩んでみせることが恥ずかしくなるような、平凡な状況なのかもしれないのだ。
                                               (P.107-8)


 
 最後の二章は大江健三郎論・中上健次論にあてられる。僕のような文学音痴には非常にありがたいガイドである。


 実存と構造はコインの裏表、と著者三田誠広さんは強調しておられる。なるほど、そうかもしれない。それを認めた上で、その両者のあいだには何があるのか、と考えてみる。


 ここで立ち現われるのが、「関係(性)」の問題ではないだろうか。
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by todoroki-tetsu | 2011-09-26 07:17 | 批評系 | Comments(0)

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