8.6東電前・銀座原発やめろデモ

 霞が関駅には15:30過ぎに着いた。この界隈に来るのは秋葉原事件の傍聴以来。


 日比谷公園に入ると、何やら大きな音がしてくる。随分と多くの人がいるなと思って歩いて行くと、野音で何かイベントをやっているらしい。集合場所にはそれなりに人が集まっている。まだ早いと思い、噴水のあたりでやっているイベントをひととおり見てからぼんやりとベンチに座る。公園でのんびりぼーっとするのもいいものだ。


 雨がぽつりと降ってくる。天気雨のようだが、少しいやな雲が見える。洗濯物を出しっぱなしにしていたのを思い出す。今日を逃すとしばらく洗濯する暇がない。一瞬帰ろうかと考える。


 16:00すぎ、何やらいろんな人が何かをしゃべっているようだ。ちょっとだけ近寄ってみたが、なんとなく落ち着かないので近くを廻ってみる。歩道には警察官とその車両などが見える。報道関係者だか何だかが「デモには肖像権がない」と口にしながらカメラを向けていて、「そんなもんかなあ」と思いながらそそくさと通り過ぎる。別に写ってもいいが積極的に写されたいとも思わない。まあ、そんなことは知ったこっちゃないだろうが。


 もといたベンチに一度戻り、17:00くらいに出発場所に向かう。わりあいに後ろの方がいいなあ、と思っていたら実際にそうなった。人の流れに任せて車道に出たけれども、ずいぶんと待った。出発したのは17:40くらいであったろうか。「早く歩かせろ」と言っている人もいた。のんびり待っている人もいた。待っているあいだ、音楽が鳴っていたのは僕にとってはよかった。なんとなく間が持った気がした。松本哉さんのMC(?)が適度に入る。
 

 そういえば、このデモは素人の乱の方々が主催なのだろうか。こうしたデモで「主催」というのもなんだかと言う気もするが、当然言いだしっぺと段取りをつける人と実際にいろいろと動く人が必要なことは確かで、そうしたおかげで場がつくられるのは有り難い。もちろん、素人の乱の方々だけではなく、いろんな方がやっていらっしゃるのだろう。


 僕は相変わらず、「一人でもそれはやれることなのか? と問うてみて、是と答えられること」だけをやろうと考えた。相変わらず手ぶらだったし、そして、シュプレヒコールも口にしなかった。ただ、歩いた。ただ、見た。ただ、聞いた。そして少し、考えた。

  
 最初に通りがかった東電本店前で、ひときわ「東電は責任を取れ」といったコールが強くなった。「責任を取れ」という時、具体的には何を指しているのだろう、と考える。お金の問題だけではないだろう(もちろんお金は大事だ)。事故に対する技術的・組織的対応の責任もあるだろう。原発を作れば作るほどどうやらお金が儲かる仕組みだったりもするらしい。そのお金で何とか復興をはかろうとする地域の思惑もあるだろう。結局のところ、政治の問題になると言えば、なる。

 
 だが、政治の問題になるとするならば、そこには政治家がいる筈で、政治家がいるということはその人たちを選んだ人がいるということだ。なんだか公民の教科書のような話だが、でも、そうなのだ。だとすると、選んだのは誰だという話になってくる。自分はその人を選んだ/選ばなかった、とは言える。でも……。


 そんなことを考えているうちに、デモのペースは早くなったり遅くなったりしながら数寄屋橋あたりの大きな交差点に差し掛かる。なぜかここでデモが待機状態になる。交差点待ちの待ちきれない人が突破しようとして警官に誘導されたりしている。少し動き始めると警官は急がせる。それは不当だ、みたいなことを誰かが叫ぶ。僕は道路の向こうにいる人たちを見ながら、「あの人たちがみんなこっちに合流してきたら面白いだろうな」と考えていた、無言で手ぶらのくせに……。

 
 夜も更けてくる。もう薄暮は過ぎた。日生劇場の手前あたりでデモがまた止まる。僕のすぐ後ろにいた苛立った風の男性が「俺は本気で怒ってる! 踊ってる場合じゃない! 音楽止めろ!」と叫んでからシュプレヒコールをやり始める。音楽のせいで割合気が楽だった僕は思わず恐縮する。そういえば口を開いてもいない。バレたらやばいかも(!?)、と少し前の方に移動する。


 そんな自分の情けなさも含めてざっかけなく話が出来る人が、(今この場にはいないけれども)僕には何人かいるなあ、と思った。もう何年も会っていないけれども、そう思える関係性が、たとえ僕の一方的な思い込みであっても存在することは、幸せなことだと思う。


 いよいよデモは終盤に差し掛かる。二度目の東電本店。今度は前にもまして「東電は責任を取れ」といったたぐいの言葉が熱くなる。一番最後のかたまりのちょっと前に僕はいたのだが、東電前で最後のかたまりの皆さんが立ち止まり、警官が何とか前に進めようとしていた。小競り合いとまではいかなかったようだが、少し緊迫した。


 「責任」についてまた考える。あそこまで叫ぶことが出来るというのはよっぽど真剣に考えてのことだろう。露わな感情を前にするとかえって冷静になるというのはよくあることだが、それ以上に「どういうことだろう、これは」と思う。「おはかにひなんします」と遺書を残して自死した南相馬市の女性は、遺書から判断する限りあきらかに原発事故を苦にしていた。その意味では東電に責任がないとは全く思わない。しかし、原発を作ったのは東電も含めたみんなではないのか、みんなで話し合うべきではないのか、という小学生の問いかけもまた、正しいと思う。


 井上ひさしさんの『ムサシ』を唐突に思い出す。小太刀の刃を自分に向けていると言えるのか、などと殊勝なことを考えてみたりもしたのだが、手に負えなくなりそうですぐやめる。ふと見上げると、月が雲にうっすらと隠れている。洗濯物のことを思い出す。

 
 デモ本隊に半ばはぐれたような格好になってしまったが、おまわりさんが誘導してくれたのですぐ追いついた。新橋駅前で、デカい宣伝カーの上からいろんな人が手を振っている。みなさん、いい笑顔だ。


 ここで終点かと思いきや、「解散場所はもっと先ですよ」とのおまわりさんの声。ああそうかと道なりにくっついていく。最後の公園にたどり着いた時、「君たちのデモの解散場所はここ、プラカードなどを下ろして帰りなさい」みたいなことを偉そうに言っている警官がいて、これが今日官憲にカチンときた唯一の瞬間。


 新橋駅前では集会らしきものが催されていた。色んな音が奏でられてもいた。割合にいい雰囲気のように見えた。警官に取り囲まれながらも、宣伝カーの上からは広場の外にいる人に向かって呼びかけているような声がした。その声を聞きながら、その場を立ち去った。


 結局また、ただ歩いただけに終わった。それはそれでいいだろう、と思う。考えはまだよく、まとまらない。洗濯物はほんの少し夜の湿気を吸った程度で、安心した。
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by todoroki-tetsu | 2011-08-06 22:50 | Comments(0)

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