人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日記その5

9.海へ
 海を見ようと思ったのは、津波のことを少し知っておきたいと思ったから。『東日本大震災復興支援地図』は――池澤夏樹さんが指摘していて初めて知ったのだが――、どこまで津波が押し寄せたかが色分けされている。これを手がかりに歩いてみようと思った。

 警察署を過ぎ、海へ海へと向かう。日差しはますますもって強くなる。ヒリヒリする右腕にタオルを巻きつける。いろんな工場が並ぶ道を通り過ぎ、角を曲がって少しすると、柱と屋根だけが残された格好となっている家々が目に入ってくる。こうした家はわずかであって、あとは海側に向かってまばらに建物が残るほかは一面何もない。あるのは雑草と電柱だけである。左手の方の高台は、おそらく原町の火力発電所であろう。当たり前だが、この火力発電所は東北電力である。

 海の方面から何台も大きなトラックが向かってくる。何かを運んでいるのだろう。どのトラックも運転席には「災害なんとか」という紙がおいてある。たぶん作業用車両であることの表示。

 海までは一本道だが、随分とある。ここまでで道の駅から3キロくらいにはなるだろうか。ここでも見かけるのは車ばかりであったが、途中、雑草に覆われた場所でがれきを整理している年配の夫婦と思しき姿があった。今見ると、跡形もないところだが、ひょっとするとそこに住んでいた人なのかもしれない。何かを探しているのか、それとも片づけているのか。

 パトカーが通り過ぎる。職務質問されるかと思ったが、何もなかった。そういえば、ここに来る途中にも自衛隊のジープを見かけた。ガス会社の車も。警備というか巡回というか、そういうことなんだろう。

 老夫婦らしき姿を見かけてからまだ少しと思って歩いてみたが、あまりの暑さと先の見えなさで、海岸にたどり着くのは断念した。雑草の広がる地帯をもう一度眺めてから、振り返ってもと来た道を戻る。もともと何があったところなのか、判らない。ところどころにテレビやゴミなどが固められていて、このあたりは住宅だったのだろうか、とも思う。

 ふと電信柱に目をやると、掲示がある。そこには、これは仮設電柱であること、地権者の許可なく建ててしまっていること、その対応窓口の電話番号が記してあった。

 誰かの許可を得なければならない場所……ということは、誰かがそこで生活をしていた場所であるかもしれない(そうでないかもしれない。僕がそこまで調べていないだけである)。そこはただ、雑草が生い茂っているだけのように見える。

 「僕から見れば何のことはないけれども、見る人が見ればそこには絶望しか見いだせない、そんな光景が存在している」。田んぼを眺めた時のことについて、僕はこのように記した。この雑草の生い茂る中で立つ電柱も、そんな光景の一つなのかもしれない。


10.町へ戻る
 海方面から道の駅まで引き返して来て、駅近くには6号線を経由した少し違った道で戻ることにした。来る途中のバスから見ていて、パッ見でいくつかいかにも郊外型の店舗を見かけたからだ。

 古本屋といくつかのチェーン店系飲食が営業していた。飲食店の方は「営業再開」という文字が躍っていて、どうやら再オープンは比較的最近になってからのようだと見てとれる。駅の東側には大きな店構えの中華料理店が営業していて、店の外まで出て顧客を丁寧に見送っていた。

 時間は15:00を少し回ったところ。予定より少し早いが、ホテルにチェックイン。兎に角歩きづめでクタクタだったので、ひとっ風呂浴びて少し横になる。

 17:00ごろ、もう少し町中を見てみようと再び出かける。なんとなく市役所方面を目指してみる。途中スーパーと即売所の中間のような店に立ち寄る。特に何を買うあてもないのだが。

 産直の野菜やちょっとした物産などを扱っているようで、ちょうどいい、野菜が不足していたと南相馬のだれだれさんのトマトを買う。レジの女性に「ボランティアの方ですか?」と聞かれ、「いえ……」ともごもごと愛想笑いをして逃げるように去る。2個で198円のトマトは大ぶりで、美味かった。

 やっている飲食店はないわけではないが、どうもさっき声をかけられたのが気になって、スタッフとの距離が離れていそうなところがいいなあ、と考える。夕方、やはり人を見かけない。いないわけではないのだが、少ない。車の量は増えた気がする。

 市役所あたりまで来て、引き返す道すがらでようやく、気がついた。子どもの姿をほとんど見かけないのだ。道の駅あたりで小さな子がお母さんに連れられてきているのは少し見かけたが、それ以外は年配の人ばかり。日中は時間帯のせいでもあるのだろうと思ったのだけれど、夕方17:00すぎなら、小学生はともかく中学生くらいならいてもおかしくなさそうだ。

 外出を控えているのか、それとも……と考えながら歩いていると、小学校の建物が見えた。近寄って見ると、「どこにいても心はひとつ。○○っ子」といった文言が書かれた横長の看板がある。「○○っ子」というのはその小学校の愛称みたいなものなのだろう。

 そうか。そういうことか。

 「子どもは何にでもなれる」みたいなことを言ったのは花井拳骨だったか。そんなことふと思う。可能性の塊として子どもがあるとするならば、その子どもが離れざるを得ない状況とはどういうことなのだろう。離れるのが悪いわけでは、当たり前だが決してない。そんな「状況」が、問題なのではないか。

 そう考えてみたのはいいが、やはり腹が減ってきてしまう。昼間見かけた中華屋まで行こうと足を運んでいる途中、何人かの中学生と、コンビニでたむろ(あるいはバスの待ち合わせ)をする高校生の一群を見かけた。なんだか少し、安心したのはなぜだろう。

 

by todoroki-tetsu | 2011-07-16 18:09

<< 日記その6 日記その4 >>