渡辺一夫「エラスムスに関する架空書簡」

 やや間があいたが、少しずつ、少しずつ、読み進めているちくま日本文学全集の『渡辺一夫』。「エラスムスに関する架空書簡」を読む。


 真実をいくら伝えようとしても、相手は受け附けず、判り切った不幸へ向って進むような場合、その真実を相手に納得させ、不幸を回避するために、あるいは嘘はつかれるかもしまれません。(中略)しかし、これが僕にとって大切なことなのですが、嘘をつかねばならぬ羽目に、自分も陥り他人をも陥れるような結果にならぬように、各人がおのおの努力すること、その方法を事ごとに考えていることに、人間として守るべき倫理の一つがあるということです。



 P.97-98の記述。これは例えば、法華経方便品などと関連付けて考えることが出来ることなのかどうか。次の節を読む限り、どうも地平が違うようには思える。同じP.98。


 このように、真実を知らしめ、それによって人のため世のためをはかろうとしても、その方策がない。相手が納得してくれない。そういう場合に、やむを得ぬ虚偽は用いられるかもしれませんが、この情なさは、本当に、慟哭に値するはずなのです。



 「慟哭に値する」! あくまで生身の人間としてとどまろう、悩みぬこう、そう言い聞かせているように思える。


 僕は、信念があると言っている人々を咎めているのではないのです。信念のある人ならば、自己の信念が何の上に成立しているか、また他人の信念の構成も、同じようにして行われるのではないか、ということを反省できるような、ゆとりと理性とを持ってほしいと言っているのです。



 P.101の記述。もはやぐうの音も出ない。
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by todoroki-tetsu | 2011-04-04 21:47 | 文学系 | Comments(0)

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