相対的な存在が持ちうる絶対性

 中島みゆきさんの「泣きたい夜に」を、この数日特に集中して何度も聴いている。歌詞はこちら

 
 飽きもせず「関係」の相対性と絶対性について考えてみる。

 
 みんなが悪い、あるいは自分だけが悪いわけではない、と他者に呼び掛けることは励まし方として実に有効だ。この間の問題意識に引き付けて言えば、何かに悩む他者≒「相対感情に左右されて動く果敢ない存在」(吉本隆明)に対して、「絶対的な奴なんていやしないんだよ、だから気にするな」といって、その相対性を擁護する、という構図になろうか。

 
 問題は、そのとき他者に呼び掛けている「自分」はどうなんだ、というところにある。


 「泣きたい夜に」における「あたし」は、慈母であるかのような包容力があるように思える。そういいたければ「女神」でもよかろう。何か超越した存在であるかのように映る。でもはたして、あらかじめそのような存在であったのだろうか? もちろん、いかようにも解釈が出来るだろう。が、僕はこの「あたし」を、自らの相対性を、自らの悪を、突き詰めていった末にある存在として考えてみたい。

 
 「『同じ地平に立つ他者、あるいはあくまで相対的に立つ地平の違うといった程度の他者』が、『絶対』的な関係を突き付ける場合がある。特段に聖人君主というのでもなく、適度にダメさをお互いに許容し合っている、そういう関係であったとしても、そのような絶対性を突き付けられる時が、ある。相対性が絶対性に転化する瞬間が、ある」と少し前に僕は記した。そのイメージのひとつは、この「あたし」である。「あたし」は問いを発する側というよりも問いに応じる側のように思えるが、しかし、互いに相対的な存在に過ぎぬその関係において、明らかに異なる地平に立っている。俗に言う「上から目線」などではなくて。

 
 でも、「あたし」は特段にすごいことをやれるわけではない。呼びかけて、歌うことが出来るくらいだ。でも、その「くらい」のことをやれること、あるいはやろうとすること、その力は、大きい。「相対的な存在が持ちうる絶対性」といってみたい衝動に駆られる。


 「求道すでに道である」(宮沢賢治)といった言葉が示すものと、この「あたし」の姿は重なってくる。チャップリンの「独裁者」における演説の文脈で目に耳にする、ルカ伝第17章の「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」といった言葉も、思い起こされる。


 しかし。相対的な存在が絶対性を持ち得たとして。それははたして長く続くものであろうか。長く続いた人はやはり「聖人」というにふさわしいと思う。けれど、多くの場合には特定の場合や時期においてのみ絶対性を持ちうるのではないだろうか。それは一瞬のことかもしれない。だとしても、「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎、『燃えあがる緑の木』)という言葉に希望を託すことは出来る。


 でも、そこに行くまでにもう少しうろうろと足踏みしてみたい。ひとつは、加害者/被害者という問題。もうひとつは固有性の問題である。

 
 「泣きたい夜に」の「あたし」と、呼びかけている他者との関係は、直接の加害/被害の関係ではないように思える。歌詞を手がかりに想像を膨らませるのはよいけれど、自分自身に傷ついた、あるいは「あたし」ではない誰かに傷つけられた他者に対する応答と解釈するのが素直だろう。しかし、現実の人間どうしの関係性においては、直接間接の利害関係が見え隠れする。その時自分は、いや、他ならぬ僕は、どうすればいいのだろうか。


 「暴力性があり、想像力が貧弱で、大きな事件が起きた時にはさも深刻な顔をして考えてみる癖に時が経てば忘れてしまうような、そういう自分をまずはありのままに認識してみたいのだ」とも以前に記し、「他者」との関係性に何らかの可能性を見出そうと僕はした。ではその「他者との関係性」とは具体的にいったいなんなんだ、というのがこの間の相対性だの絶対性だのをうだうだ考えている、ひとつの契機である。「加害」とか「暴力」といったことを、やっぱり見つめなければ先には進めなさそうだ。

 
 もうひとつの「固有性」の問題は少しまた性質の違うことかもしれない。自分も含めてみんなダメなところがある、とか俺も悪いがあいつも(あるいはお前も)悪いとか、そういうことはもちろん、ある。つまり、ある地平なり価値観なりからすれば、みんな同じじゃないか、という考え方。あるいは、他者の中に自分を見出すという認識論なり方法論。これはなかなかに魅力のあるものだけれども、それを突き詰めていった時、一人ひとりの「固有性」というものをどうとらえればよいのか。星野智幸さんの『俺俺』が見せてくれた世界を、どう考えればよいのだろうか、という問題になるのかもしれない。


 ……少しずつ、やっていこう。
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by todoroki-tetsu | 2010-09-11 20:09 | 批評系 | Comments(0)

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