関係の絶対性と相対性。その二

 引き続き、自分用メモ。

 考えるための一例として。阿久悠さん作詞の「時の過ぎゆくままに」。




 歌詞の全体はこちら


 女も男もなんだかとても疲れていて、なげやりな感じがする。もうどうでもいいや、と思いながら、どことなくだらしなく体の関係は続いていて……、といった光景が思い浮かぶ。


 こういうことは、あるだろうなと思う。この二人は、お互いのダメさとか、なげやりなところとかを、お互いに否定しない。「こうしなきゃ!」「このままじゃダメだ」といった、「べき論」は介在しない。現状肯定だけが、ある。「相対感情に左右されて動く果敢ない存在にすぎない」(吉本隆明、『マチウ書試論』)ことを、認める。

 
 しかし、「相対感情に左右され」ながらも、「ささやかな絶対性」(というのも変な表現だが)がある。この二人が、二人でいること、お互いに関係性を保っていること。いつか別れるかもしれない、いや、もう関係はもう破たんしかかっているのかもしれない。けれど、この時点で少なくともどちらか一方は、特定の「あなた」との関係を否定していないし、条件つきではありながらささやかな希望すら抱いている。


 別段さっさと別れたっていいはずだ。相手に見切りをつけるか自分に見切りをつけるのかはさておくとしても。二人の過去のライフヒストリーの詳細は分からない。何か別れるに別れられない因縁があるのかもしれないし、ぬきさしならぬ状況が取り巻いているのかもしれない。が、特定他者との関係を手放さないという点において、自ら選び取った関係性を見て取ることが出来るのではないか。

 
 ……ん、「絶対性」というよりも「固有性」とでもいったほうがいいのだろうか。「固有性」と考えると「他の誰でもいい」のか「他でもない『あなた』(『自分』)でなければならない」のか、といった問題、『俺俺』と「名前」の問題になっていきそうなのだが。

   
 整理が足りないな、まだ。
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by todoroki-tetsu | 2010-09-10 06:58 | 批評系 | Comments(0)

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