関係の絶対性と相対性

 問いを整理しなければと思いながらも、まあメモだからいいやなんて無責任に思いながら。


1.
 「関係の絶対性」というのは何だろう? 吉本さんの文脈からは「秩序」とか「権威」とか、そういったものがイメージされる。「何か強固なものに抑圧される状態」といおうか。僕は、必ずしもそうしたものをイメージして「関係の絶対性」という言葉を手がかりにしようとしているのではない。そこを少し落ち着いて考えてみる。


2.
 たとえば、僕は今正社員として会社に属している。そうである以上、原則として業務命令には逆らえない。「上」から言われることなんて納得のいかないことなんて今までもあったし、これからもある。その意味では「絶対」である。しかし、相対化する術も同時にある程度身に付けてはいて、多少のことなら突っぱねる程度の政治力を発揮することは出来るし、少なくとも自分の現場においてはある程度「なし崩す」ことも出来る。程度の差ではあるけれども、「絶対的」におりてきたものを「相対化」することは出来る。所詮は「ガス抜き」に過ぎぬだろうが、会社と職場からはのがれえぬ以上、ガスを抜くことが出来るにこしたことはない。


3.
 ただ、どうしようもなく受け入れなければならない命令というのはやはりあって、それは「絶対」ではある。逆を言えば、そうでない時には「絶対」ではないのだ。「部下は上司を選べない、が、上司への態度は選べる」というのが僕の処世訓である。「態度は選べる」……「自由な意志は撰択するから」と、吉本さんからは一蹴されてしまいそうだが、過度に媚びる必要はない、というほどに考えるとすると、会社員としては少しほっとはするのだ。


4.
 「関係の絶対性」とは、「そうでなければならない、それ以外にはありえない関係性」のことである、と考えてみる。そして「関係の相対性」とは、「それ以外でもありえる関係性」のことである、と考えてみる。会社の例でいえば、僕が適度に政治力を発揮しつつ「上」からの命令をかわせる状態にある場合には、僕と会社の関係性は相対的であるといえる。かわせない状態にあれば、関係は絶対的である。常に相対的なわけでも、常に絶対的なわけでもない。


5.
 相対的な関係と絶対的な関係を分かつものは何だろうか? 自分の意識、それも主体的な覚悟を伴った意識のような気がしてくる。唯我論?……ううむ。分からない。が、「秩序」や「権威」に無自覚であった場合、そもそも関係性という問題意識じたいが発生しないだろうな、という気はする。


6.
 しかし、身近な「秩序」が会社なので――「権威」ではまったくないのがちと情けない(笑)――その例から入ったけれど、僕が考えたいのはそこでもない。会社内においては互いの職位や、他の会社に属している人との場合には互いの会社同士の関係とか、そうした関係なり属性が入り込んでくることは疑う余地がない。けれど、「秩序」とか「権威」とかとモロに対峙するような関係ではなくて、僕一人とあなた一人、そうした関係性において「絶対性」を突き付ける/突き付けられるというのはどういうことなのか。

 
 何か具体例をあげながら考えたほうがよいかもしれない……。
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by todoroki-tetsu | 2010-09-08 20:45 | 批評系 | Comments(0)

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