「負い目」と原爆と戦争と

 今朝の「毎日」3面、「火論」なる欄に「『それから』の空白」という短い記事を見つける。コラムといったほうがよいのか。専門編集委員玉木研二さんの筆による。


 「原爆後」の被爆者の生活を、「それから」という言葉を手掛かりに想いをはせる内容。長崎の被爆者、永坂昭さんのことが具体的には取り上げられている。


 記事にはこんな一節がある。


 生き残った負い目というものがある。これも被爆生存者が多く語ることだ。
 永坂さんはあの日爆心地付近をさまよった。傷つき渇いた人々は水を求めた。うつぶせのやけどの女性に「連れて行って」と助けを求められたが、永坂さんは無言で去った。不明の母らのことで頭はいっぱいだったという。このことを永坂さんは終生悔いた。語ると涙声になった。



 今少しずつ、石田忠さん編著の『反原爆』(未来社)を読み返している(twitterでのタグは #hangenbaku)。「負い目」の問題もこれから出てくるはずだ。


 どうすれば現在に引きつけることができるだろうか、と思いながら読んでいる。たとえ「年中行事」であったとしても、8月がそのきっかけになればいい、ないよりはマシだと思いながら、それでもどうやってそこから前に進むことができるのか、と考える。


――余談だが、先日読んだ山上たつひこさんの「十二因縁暴徒犯罪ニ関スル書類編冊」(『神代の国にて』所収)に、「年中行事化」する終戦特集についてボヤく記者が登場しているのに、素直に驚いてしまった。発表は1972年である――


 被爆者が、あるいは戦争体験者が、その体験をどう受け止めながら、それでも生きのびてきたのか。その過程に、「平和」な時代を生きている人間が学びうるのは何か。


 いや、そもそも「平和」なのか? と問うておくことは重要だ。確かに、70年ほど前のような形での「戦争」はなかったかもしれない。しかし、年間自殺者が3万人を超すようになってもう10年くらいは経過するのではないか。もちろん、それ以前にも自ら命を絶った人は2万人ほどはいたわけであるから一概には言えないが、広島・長崎の原爆で亡くなった人と同じくらいの数の人が、この10年で自ら死を選んだわけである。


 「ゆるやかな」内戦が、着実に進行しているのではないか? 「日常化した戦争」が、ここにありはしないか? だとしたら、かつてあった戦争の体験について考えることは、現在の「平和」をいかに生きるかという問いに、実は密接につながっているとはいえないか?


 もちろん、これはいわば情勢認識の問題であって、いや、それすらでもまだなくて、単なる粗削りなイメージにしか過ぎない。この認識がはたして妥当なのかどうかはまだ、よく分からない。


 しかし、情勢認識を保留したとしても、戦争の体験から学びうることはあるだろう。永坂さんの「負い目」は確かに原爆という空前の体験によるものだ。けれども、程度の差はあれ、例えば仕事の場でも何らかの「負い目」を感じるような局面が、現在を生きる僕にも、ある。だとしたら、「負い目」と向き合った被爆者の体験から学びうるものが何かあるはずだ。そんな風に、思う。
  
 
 こんなことを書いていると、ふと思い出してしまった。タイマーズの名曲である。



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by todoroki-tetsu | 2010-08-03 06:44 | Comments(0)

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