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『われなお生きてあり』――「原爆批評」メモその1

 昨日ふと思いついていくつかtwitterでつぶやいてみた。もう少し整理してみようと思う。もっとも、メモの域を出ないのだけれど。

 ノーベル平和賞のニュースがある少し前、オバマ大統領来日の報をうけ、ある出版社さんから展開のご提案を頂いていた。広島・長崎にぜひ来てほしいというような声があることもちらとどこかで目にした。

 たぶん週明けには、平和・核廃絶関連の書籍を少なからず出されている出版社さんから色々とファックスがくるに違いない、とふと考えた。緊急出版みたいなこともあるのかもしれない。ジュンク堂新宿店さんの「平和の棚」でも何か趣向をお考えだろうと思う。

 確かに、ひとつの商機ではある。オバマさん関連本だけではなくていわゆる反核関連書とうまくつなげることが出来ればそれはそれとしてひとつの「見せ方」であろうから。「この本のとなりになぜこの本が!」という演出が出来るのがリアル書店の楽しみでもあるし。

 さて、そうなった場合、何をどう見せられるかな、と歩きながら考えていた。思いついたものをこころみにあげてみる。

・中沢啓治『はだしのゲン
・井伏鱒二『黒い雨
・峠三吉『新編 原爆詩集』:他の版でもよいが、解説が中野重治と鶴見俊輔のものが収録されておりもっとも充実していたと記憶。
・大江健三郎『ヒロシマ・ノート
・こうの史代『夕凪の街 桜の国

 今流通している中で思いついたのがざっとこんなところ。もちろん、まだまだ出てくるだろう。弘兼憲史『ハロー張りネズミ』にある、グレさんこと木暮久作が生まれる直前を描いたエピソード。『ブラック・ジャック』の家を建てた棟梁丑五郎のエピソード……こうしたものを掬っていくのも面白いと思う。あ、大事な大事な丸木俊『ひろしまのピカ』を忘れてはいけない。『ゴジラ』第一作もいい。

 とまあ、そんなふうにしてイメージを膨らませていくうちにふと、ある種のステロタイプになっていないか? と疑問が湧いてきた。こうのさんの作品は比較的新しいけれども、その他はすべて古典もしくは中古典みたいな位置にある。要するに、古いのだ。

 古いことは悪いことではないし、ロングセラーをどう見せるかというのは本屋としても大事なところなのでいいのだけれども、なんかこう「ヒロシマといえば(もしくは原爆といえば)これ」みたいな、そういう固定観念がどうやら自分の中にあるように思えてきたのだ。自分だけなのかもしれないが……、どうだろう?

 では、自分自身の平和観というか原爆観というか、そういったものを捉えなおすにはどうしたらよいのだろう? と考えてみた。ひとつは、過去をさかのぼること。今までの蓄積に学ぶこと。もうひとつは、その上で現在の地平と切り結びうるか考えること。

 ひとつめの課題を考える上で、長らく品切れになっている決定的な著作がどうしても外せない、と感じている。福田須磨子さんの『われなお生きてあり』である。

*twitterで「松井さん」と呟いてしまったのはまったくの記憶違い。ごめんなさい。

 僕は石田忠の『反原爆』(未来社)――これまた長く品切れだけれども、傑作である。これを継承しているのは濱谷正晴『原爆体験』で、こちらは入手可能――からさかのぼって福田さんの著作に触れた。

 福田さんは率直に筆を綴られる。原爆の影響による体調不良、それを原因としての生活の荒れ、周囲の人々の裏切りに対する怒り、また助けられたことへの感謝。原爆に、アメリカに、日本に対する思い・怒りとともに綴られる日々の生活の苦しさ。

 原爆体験はその瞬間だけで終わるものではない、ということは今までも散々言われ続けてきていること。それはどういうことなのか。

「私自身、戦争がなかったら、あの原爆を受けることがなかったら、こうして屋台店に顔をさらしていることもなかったろうし、職業を転々とすることもなく人なみな人生を歩むことが出来たに違いない。彼ら(福田さんの勤めていたヤミ焼酎屋に集う、戦時中海軍に徴収されたもと船乗りたちのこと)にしても同様だ。ここにも戦争に傷ついた人間たちがもがいているのだ。自分たちの運命を翻弄したものが何であるかを知ろうともせず、ただその日その日を面白おかしく過すために生きているように見えた」(ちくま文庫版、P.201)


 「原爆さえなかったら……」という問いかけは繰り返し出てくる。それは日々をまっとうに暮らしていこうとする際にいやおうなく立ちふさがる「壁」として、原爆体験は繰り返し立ち現れる。ここに、現在福田さんの著作を読みなおすカギがあるように思う。

 国際政治の話もいい。人道的な観点からの話も重要だ。しかし、もっとも想像力を喚起せねばならないのは「生活」の問題として捉える、ということではないだろうか。

 福田さんの著作はそれとして固有の生活体験に基づいている。しかし、

「二十二年前の被爆当時から現在に至るまで、不安と絶望の中で生きてきた私の暗い歴史は、大小の差こそあれ、全被爆者の歴史」(同、P.428)


 と記されているように、その体験は閉じられたものとして捉えられてはいないのだ。少なくとも「同時代」=「ヨコ」としては。

 書かれた当時(発表されたのは1968年)、この記述はまだ「同時代」として共有しえたかもしれない。が、今はなかなか難しいだろう。

 95年当時、知人から聞いた話を思い起こす。「今年の法事はてんてこまいで、日取りをずらさないとお寺が大変らしい」、と。彼の両親の実家は広島、50回忌の法要がたてこんだということのようだ。二人して「そうか、そういうことか……」とうなずきあった。

 しかし、「同時代」というヨコ軸ははいつかは「歴史」というタテ軸になる。「歴史」として読み込むにはどうすればよいのか……ここに、「原爆批評」が求められる意義があるように思う。

 長くなったのでふたつめの問題、現在の地平との切り結びについては項を改める。

by todoroki-tetsu | 2009-10-12 10:26 | 批評系

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