ANA国内線【PR】

感想以前のこと――大澤信亮「出日本記」(「群像」2012年5月号)

 手は頁をめくる。目は文字を追う。そうだよなと思うところもある。思わず詰まってしまうところもある。行ったり来たりを繰り返しながら。一文一文を。「これはどういうことだろう」と考えながら進める。目が先走っていくのを手がおさえる。手が頁をめくろうとするのを目が押しとどめる。文字は確かに目に入っては、いる。

 
 文章の中に入り込んでしまうと、ある種の恍惚感すら覚える。しかし、入り込んだというのは勝手な自分の思い込みで、ただ単に印刷された文字を、都合のいい触媒として利用しているだけなのかもしれないのだ。それではダメなのかもしれない。それでいいのかもしれない。


 字面を追った、という意味では、読んだ。一度ならず二度三度、と。しかし、読む、あるいは読んだと言えるのはどういうことかと考えてみると、何も言えなくなるようにも思う。


 「言葉が出てこない。問いが定められない。何を考えても嘘になる。そういう状態が九ヵ月間続いた」。そう冒頭にある。では、書き手が考え、それを言葉にしようとしてきたのと同じ期間、読み手である自分は何をして、あるいは何をせずに過ごしてきたか。この自省を抜きにして何かを考えることは出来ない。これが同時代の批評の言葉を読む、読者にとっての意味であるだろう。


 そうした言葉に触れることが出来るのは、幸福だと言ってよい。けれどその幸福は、仮に、このような言葉がなかったとしたら、この世はどうしようもなく不幸だ、という意味での幸福であって、目先の「楽」とかひとまずの「安心」といったたぐいのものとはかけ離れたものである。


 書くために読む、という感覚はありうるだろう、とは思っていた。それは拙いながらも自分の実体験として、ある。インプットがなければアウトプットはない。当たり前のことだ。けれど、去年の秋口くらいからだろうか、読むために書く、という感覚がどうにも芽生えてきたように思う。単に本を読みながらノートをとるとか、メモしたり整理したりということではなくて。読んでいる自分自身を問うために、書く。書かないと、読めない。書き手に対峙出来ていない。そう感じる。

 
 こうした感想以前の感覚をどうにかこうにか記すまでに、幾度となく書き直している。「復活の批評」を読んだ時にいきおいこんで感想にもならない感想を書いたことを思うと、隔世の感すらある。たいへんに俗な話だけれど、自分の拙い文章に触れてくださっていることに、必要以上に心が乱れたのかもしれない。気恥かしさとも申し訳なさとも有り難さともつかない、何ものか。


 今朝の「毎日」にあった、中島岳志さんによる評――「『出日本記』は、簡単に着地しない。しかし、読む者の世界が揺れる。言葉が突き刺さる」という言葉には心底共感する。が、その共感に安心してはいけないとも思う。共感するからこそ、警戒しなければならない。


 いや、「対峙」をイメージして読もうとしていたのがそもそも間違いだったのかもしれない。もちろん、真剣な態度は最低限の条件だが、その上で、サシで勝負しようとするのではなく(もしくはサシで勝負しようとする「だけ」ではなく)、書き手が繰り出した言葉を「正しく食べる」(デリダ)ことは出来ないか。


 ……自分でも何を書いているのか、よく判らなくなってきた。判らなくなってきたついでにもう少しだけ。


 今まで、大澤さんの文章を拝見していて、ひとつのイメージが出来上がりつつあった。というよりも、読みながらどうしても僕の中でイメージされていく映像。それは、教会と思しき建物の中で、ひとりステンドグラスから差し込む光に照らされている男の姿。


 彼はしっかりと立つ。何かをつかもうと手を上方に伸ばす。目はしっかりと光の先にある何かを見ている。光の先にあるのは具体的な誰かであるのか何か、判らない。その人自身にも判らないのかもしれない。けれど確かに、光のほうを見上げて目を逸らそうとはしない、決して。


 『神的批評』に収録された文章、ならびに「復活の批評」は、すべからくこうした映像を僕に喚起させるものであった。では、その姿を見ている自分はどこに立っているのか。それが僕の読み手としての問いであった。けれど、「出日本記」から喚起される映像は、こうしたものとは少し違う。


 同じく光は、ある。が、差し込む光のイメージが違うのだ。ステンドグラス越しに上方から差し込むのではなくて、それこそより直接的に太陽から降り注ぐような光の輪。その輪に差しかからんとする場所に、彼は立っている。いや、もうすでに光の輪の中に足を踏み入れているのかもしれない。


 気がつけば僕の足元すぐ近くにも、光の輪はぼんやりとは届いていて。さあ、お前はどうするのだ、といよいよもって迫ってくる。

 
 

# by todoroki-tetsu | 2012-04-30 19:56 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

2012・3・25-26、あるいは久々の外出

 このところ仕事がどうにも忙しく、またそれを格好の言い訳にもしていて、あまり出歩かないでいた。


 昨日3/25(日)は、久々にtwitterデモに参加させて頂いた。させて頂く、という表現は好きではないのだが、昨日の心持を表現すると、なんとなくこうなる。


 14:00にデモは宮下公園を出ると聞いていた。ちょっぴり遅れたが、ちょうど出発するところだった。いつも、といっても数回だけれども、出発前から隊列に加わるのははじめてのこと。最後尾あたりにそこはかとなくもぐりこむ。


 コースはおそらく今までとさほど変わっていないと思う。まずは渋谷をぐるぐると回っていく。やっぱりスタッフの方はごみ袋を持って沿道に目に着くゴミを極力拾っていらしたりして、今回もやはり頭が下がる。僕は例によって何も持たず、口を開くこともなく、ただ一緒に歩くだけだ。


 歩き始めて間もないころ、割り箸を軸にした小さなフラッグを差し出され、思わず受け取る。「割ったら片方をお友達とかに渡せますよ」と言われる。なるほど面白い趣向だ、でも渡せる友達はいなさそうだと一人で苦笑いをする。


 天気がよいせいか、ただ歩くだけでもなかなかに気持ちのいいものだ。シュプレヒコールは、僕のいた場所から聞き取れたのはほぼ、「原発いらない」「子どもを守れ」だったと思う。スタッフの方だろうか、女性の方がメガホンを取ったとき「子どもを守ろう」と表現されたのは興味深く思った。この点については以前にも記したことがある。

 
 今回は、以前に比べてお子さん連れの方が目立つように思ったのは気のせいだろうか。いきおいカメラは子どもたちに向けられる。いいことなのか悪いことなのか、よく判らない。

 
 途中おまわりさんには結構せきたてられた。交差点やなんかでは「車の方が待って下さっています」なんてよく言われた。デモのスタッフさんがそんな風に言うのは判るのだが、おまわりさんはずいぶんと車にやさしいのだな、とちょっとひねくれてみた。が、例えば自分が仕事中でデモの隊列に遭遇した場合、どこまで落ち着いて待てるだろうか。

 
 急かされたように思えるが、終わってみると正味歩いた時間は1時間半と少々。まあ、こんなものなのかなと思った。


 明けて今日3/26(月)、そうたいした距離でもないはずなのに足全体に心地よい適度の疲労感が残る。仕事は午後からなのでゆっくり寝ていたいと思うのだが、そうもしてはいられない。参院議員会館に足を運ぼうと思ったのだ。

 
 3/25(日)の夜、twitter経由で「3/26 ~@ 全国 オンナ・ハケンの乱 緊急行動の呼びかけ」を知った。別に何が出来るわけでもないし、自分がどこまで何を知っているかと言われるとお寒い限りではある。それになにより、男性(異性愛)・正社員である自分が、ほんとうにぎりぎりのところで、何を、どう出来るのか、それだけの覚悟があるのか。しかし、そうはいっても知らなきゃ何も始まらんのだし、足を運べるのなら運んだほうがよい。それは自分が何を出来るかというよりも、自分が何を出来ないのかを知るために必要なことだ、そう考えた。


 参院議員会館前に着いた時には既にある程度の方々がいて、順繰りにマイクを回してアピールをしていたり、ビラを手渡したりしておられた。何らかの届け出は出されているのだろう、特におまわりさんがすぐ近くに控えているというふうでもない。


 マイクを通じて語られるお話を、遠すぎるでもなく近すぎるでもない距離から、聞いていた。女性もいたし、男性もいた。近づくには僕には不適切なように思えたし、かといってすぐその場を離れるのも違う気がした。

 
 語られたお話を、恥ずかしながら僕はよく覚えていない。けれど、参考人招致もないなんて、どうにも人をバカにしているやり方だ、と思った。よほど人目をはばかりたいのだろう。明日の審議が具体的にどのように進められるのか、意図的にこそこそやろうとしている人、だんまりを決め込む人、どうにかしようとしている人、それらをちゃんと見極めたいと思う。

 
 何人かのお話を伺いながら、「ある程度熟練した多くの非正規スタッフ」「未熟練で少数の正社員」という構図の中で、誰も幸せになれない状況のことを考えていた。同じ職場で、同じ仕事をしていて、ただ身分が違うだけで安定性も賃金も異なる。こんな状況は、やっぱりおかしい。僕は一応下級の管理職として、そうしたことに関わる様々な人間関係の調整をやらなくてはならないのだが、それもまた大変なことなのだ。ずいぶん俗な言い方になるが、なんかこう、みんなで心底楽しく職場のみんなで酒を呑めない感じなのだ。これが正社員としての僕の、率直な実感である。甘っちょろいことを言っているのかもしれない。だったらもっと他に何かやることがあるはずだ、と言われればそれまでだ。

 
 そんなことを考えながら、マイクアピールが途切れたタイミングで離脱した。時間が迫ってきていた。地下鉄を待つ間、仕事先に一度連絡を入れたら、予定が変更になったという。ぽっかりと少し空いた時間で、こんどは東電本店に向かうことにした。お昼ぐらいに何か行動があると、これまたtwitterで見かけた記憶があったのだ。


 以前にデモで通った記憶を頼りに適当な駅で降りると、ものの見事に間違えた。それでもガード脇に沿っててくてく歩くとなんとかたどり着いた。東電の前の歩道で横断幕やプラカードを持ってのマイクアピール。さっきまでいた参院議員会館の皆さんと、人数はさして変わらないと思うのだが、まわりにいるおまわりさんにやら公安さんやらの数がえらいことになっている。アピールをしているみなさんの3倍近く、というのは多分大げさではない。報道腕章をつけた方々も複数見かけた。

 
 場所の違いはあるだろう。問題の性格の違いもあるだろう。どちらも、とても大切な問題だと思う。それぞれを取り囲む人の違いは、象徴的に思える。けれど、それがどんな象徴なのかはよく判らない。


 僕はここでも、少し離れた場所、正確には横断歩道を挟んだ東電に向かってアピールをしておられる方々の、さらに後方の歩道に突っ立っていた。ここからだと横断歩道を渡る人、東電から出てくる人(ちょうどお昼時だった)も、おまわりさんも公安さんもすべて目に入る。そして、大きな白い東電の本店も。この中に、ひょっとすると「ゆうだい君」(『僕のお父さんは東電の社員です』)のお父さんがいるのかもしれないな、と思っていた。意図して何かを隠そうとした人もいるだろうし、開き直った人もいるだろう。こんなはずじゃなかった、と思っている人もいるかもしれない。敵といえる人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。文字通り、みんなをすべてつらぬく言葉はないか。


 ふと気付くと僕の後ろに女性が立っていた。話を聞こうと立ち止まっているのだろうか、と思ったが、そうではなかった。彼女は信号が青に変わるとそそくさと横断歩道を渡り、東電の中に入っていった。職員の方なのだろう。ふだんはきっとごく普通に、交差点で信号を待つに違いない。しかし、そこにはマイクアピールをしている人たちがいる。たぶん、その近くで立ち止まりたくはなかったのだろう。自分が彼女なら、やはりそうしたと思う。


 要望書を手渡そうとしているところで、僕の方の時間が切れた。もう仕事にいかなくちゃいけない。その場を離れたとたん、僕の頭は仕事の段取りでいっぱいになっていた。







# by todoroki-tetsu | 2012-03-26 22:44 | Trackback | Comments(0)

「ヒーローはいらない」(「毎日」)

 今朝の「毎日」朝刊9面「発信箱」、永山悦子記者による「ヒーローはいらない」という記事を興味深く拝読した。「支援者」と支援される側の問題について、おそらく極めて正しいと思える指摘をしておられる。


 災害医療の学会でのエピソードに基づき、ごく一部ではあるけれども、いわば「わがまま」な支援者がいたということ、「一歩間違えると支援者が被災地を困らせる存在になりかねない」ということを指摘した上で、こう締めくくっている。

 
 支援はまだまだ必要だ。そのとき支援者がヒーローになってはいけない。支援を必要とする人こそ主役、ということを肝に銘じたい。



 
 さて、翻って自分の職場である書店現場を考えてみる。おおよそ予想はしていたが、それ以上にいわゆる震災・原発本、あるいは3・11本ともいうべき新刊のラッシュが先週から相次いでいる。例えば岩波書店さんのように、比較的早くから予告の上で新刊発売を早めますとご案内を頂いていたようなところはまれで、あいついでファックスが流れてきて、慌ただしく部数をつけて返信する、ということが立て続いている。もちろん、通常の配本まで考えるとキリがない。誰が数えたのか知らないが、この数週間で数百アイテムの震災関連本が出る予定だとも聞く。


 棚は有限である。ある程度見越してスペースは確保したけれども、追いつかない。下手すると平積みしていたのは1日、なんて新刊もある。棚担当者として、もはやパンク状態である。


 それだけの新刊ラッシュに見合った実売が上がればそれでよいのだけれども、そうはなっていない。『プロメテウスの罠』のようなものは別格である。あとはチョボチョボというところだ。こうなってくると、棚担当者としては自分の制空権である棚を侵害するものとしてしか新刊を見ることが出来ない。極めて冷徹になっていく。社会的意義とか、「この本の印税の○%は被災地に寄付します」といった言葉に、反応する余裕がなくなっていく。POPを持ちこまれても「長いこと平積み出来ないので」と断ってしまうような次第。


 あと数日で迎える3・11、またその後どのようなニーズが発生するかは未知数だ。なので頑張ってもう少し様子を見ようとは思っている。けれど、少なくとも現時点だけを切り取ってみれば、新刊の初速に見合うだけの売上実績をあげているのはほんのごく一握りであって、その意味では書き手・出版社の論理と読み手・顧客の論理は、合致しているとは言い難い状況にある。


 もちろん、本という商品は初速だけが勝負ではないし、今この時に出さなければならないというものも勿論あるだろうとは思う。だが、今回の事態は今までに経験したことのないスピードだ。皆がよかれと思って様々なエピソードや写真、「事実」、物語を形にしている(と信じる)。が、その「よかれ」という思いの結果、溢れだす本たちをどうすればよいのだろうと途方に暮れている。


 どうすればいいのか。永山記者の記事は教えてくれる。「支援者がヒーローになってはいけない」と。支援される人を主役にしているように見えながら、実は「支援される人を主役」にしようとしている「自分(書き手・作り手)」を疑わないものがないかどうか、注意深く見極めよう。それは印税や売上を寄付するかしないかといったこととは関係がない。


 そして、それを見極めようとする書店員としての自分をもまた、つねに疑い続けよう。


# by todoroki-tetsu | 2012-03-06 21:03 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

湯浅誠「社会運動の立ち位置」(「世界」3月号)読了

 結局、2週間弱もかかってしまった。湯浅誠さんの「社会運動の立ち位置」(「世界」3月号)のtwitter読書( #tati_iti)である。


 もちろん、通読するのにさほど時間は要しない。2段組みとはいえ10頁ほどの雑誌論文だから、読もうと思えばさっと読める。が、一文一文の内容がおそろしく濃い――タイプは全く違えど、吉本隆明さんの『最後の親鸞』を読んだ時に覚えた感覚と少し似ている。コンパクトにおさまりきらんぞこれは、という感覚――ことと、あらかじめ自分の立ち位置を記したごとく、様々なことが自分のわずかな体験からも連想され、歩みはおのずとゆっくりなものとなった。

 
 それなりに話題にもなっている論文のようだが、批判もあるようだと聞いている。それはそうだろう。そうでなくちゃいけない。けれど、どこで誰がどのようなことを言われているのか、僕は知らない。知りたくもないというわけではない。ただ読んだ僕自身がどう考え、何をこれからすべきと考えるのか、そのことのほうが重要に思えるというだけのことだ。


 読みながら考えたことを、twitterで記したこととの重複をいとわず記してみる。


1.社会運動の「区分」

 湯浅さんは社会運動を、「さしあたり」ふたつにわけた。「(アイロニカルな政治主義による)社会運動」と「(主体的市民による)社会運動」(P.50)である。この「区分」が重要なのは、「分断」のための「区分」なのではなく、あるべき姿を目指しての「区分」であるということだ。 


 控えめに、気を使いながら、でもきっぱりと湯浅さんは「調整の次元に親和的な領域」に移行していくべきだ、と指摘する。反論はあろう。あっていい。運動の中での様々な対立や意見の違いはどんどんあぶりだされるべきだ。抑え込んではならないし、自粛する必要もない。かといって、むやみやたらに違いばかりを強調すべきでもない。違うところは違う、同じところは同じ、それでいい。「社会運動」にまつわるイメージやレッテル――それはそれで恣意的なイメージだが、確かにそれはある――を突き崩すのは、「そうじゃない」という否定よりも、「そういうこともあるけど、そうでないこともある」「いやな奴もいるが、いい奴もいるよ」という多様性がどんどん明らかにされていくことだろう。

 
 政治家が「民度」をはかる指標であるのと同じ意味で、社会運動もまた「民度」をはかる指標である。社会運動そのものの是非ではなく、多種多様にある社会運動の中で、どのようなやり方や立ち位置があり得るか、という状況のほうが建設的である。そしてそれを担うのは「市民」なのであって、その「市民」には僕自身も客観的には入るのだろうと思っている。



2.言葉の生まれる地平

 例えば政府(といっても一枚岩ではない)が何かを進めようとしているとする。それは、あまりよくないことだと考えたとして、何らかの反対の意思表示をする。いろいろなことをやる。結果、政府が当初の何かを修正して進めることもあれば、修正なしでゴリ押しすることもあるし、撤回することもあるだろう。


 撤回の場合はまあいいとして、修正して進めるとか、修正なしでゴリ押しするとかいう場合、その責任は誰にあるのだろう、という問題。ここでしばしば起こるのは、何かを止められなかった反対派に(も)責任がある、という言い方。半分あっているが、半分間違っていると思う。極めて抽象的な話で、一応は選挙によって選ばれる議会制民主主義での話に限定しておいたほうがいいかもしれないが、モデル的なイメージとして記す。


 半分あっているというのは、そもそも選挙権は有権者にあるのであって、反対するのであればそうした意見を持つ代表者を送り込めばよい。それが出来なかったのであれば確かに、反対派の力の問題として結果責任はある。程度の差はあれ、有権者にはそれなりの責任がある。そしてもちろん、意思表示は何も選挙に限った必要は全くないので、あらゆる社会運動は常にあってよいし、またあるべきだ。それによって力関係を変えることが出来ればよし、出来なければそれはそれである程度の結果責任はある(この点は後にまた述べる)。


 半分間違っているというのは、第一に、「止められなかった反対派に(も)責任がある」という言い回しが、時として、そもそもの力関係を低く見積もっている可能性があるということ。相手が政府の場合、それに拮抗する権力を反対派が持ち得るまでには相当程度の時間と人を要するだろう。第二に、運動の継続性を、これまた低く見積もっている可能性があるということ。次にまた頑張ればいいではないか、という発想が弱いように思える。


 しかし、事態をより複雑にするのは、運動の主体自身が、調整の結果として出てきた結論に、時として疲弊してしまうということだ。

 
 反対していた何かが、例えば何らかの修正を経て、それでも推進された場合を考えてみる。

 
 「自分はあくまで反対していた。やるだけのことはやった」という思いと、「止められなかった」という思い。このふたつのあいだで感情が揺れ動くことがあるだろう。前者が強くなった時、「自分は反対した」という思いがよくも悪くも肥大し、それは政治的シニシズムに転化する可能性となっていくだろう。ここをつくという意味では「止められなかった反対派に(も)責任がある」という言い回しは意味を持つ。


 一方で、「止められなかった」という思いがあまりに強くなった場合にも、政治的シニシズムに転化する可能性がある。これは自責の念にかられ過ぎるあまりに尖鋭化してしまうことをも含む。反対派の中で「敵」を見つける場合もあれば、自分自身を責める場合もある。こうした場合には「止められなかった反対派に(も)責任がある」という言い回しは、その人を余計に追いつめてしまうかもしれない。僕はこのことをもっとも恐れる。


 湯浅さんが言葉を繰り出すのは、こういう地平からのことだろう、と僕は想像する。読む者としての僕が、書き手の言葉をそれとして読むだけでなく、どうしてこうした言葉が生まれたのかとあらん限りに考えて想像するのは、こういう地平だ。間違っているかもしれないが、むちゃくちゃに的外れでもないだろうとは思っている。


 ここまで考えてみると、湯浅さんが「調整コスト」という言葉を用いている重要性が見えてくる。運動の「その時点」での到達点なり課題なりを明確に認識することの重要性。敵ではない人を決して撃たないように、十二分に配慮していると思う。僕が抽象的に挙げた例、「反対していた何かが、例えば何らかの修正を経て、それでも推進された場合」に引きつければ、修正をもってその時点での到達とし、さらに次によりよくするにはどうすればよいか考えて実践していこう、そう湯浅さんなら提起されるだろうと思う。


 たぶん湯浅さんの眼には違った次元でものが見えている……そんな風に思う所以である。

 

3.読む者の「立ち位置」

 では、読んでいるお前はどうなんだ、ということになるのだが、「市民」という言葉がおそらく一つの理想形ではあるのだろうなとは思うが、さて、どうしたら市民になれるのだろうと考えるとちょっとよく判らないので具体的に考えてみる。


 社会運動、ということでいえば、運動の「主体」にはおそらくなれないし、なれない。これは自分の個人的な体験によるものなので、いつか変わる時があるかもしれないけれども、少なくとも今のところはどうしようもない。物理的に身体が動かなくなる瞬間が、今でもやはりないわけではない。その意味で、まずもって例えばデモを含む色んなことを積極的にやっておられる方々が、何より自分を責めすぎることがないように、と願っている。そう願う資格がないのは判っているのだが、しかし。


 僕の当面の結論ははっきりしている。第一は、「一人でもそれはやれることなのか? と問うてみて、是と答えられることをまずはやろう」ということ。これは昨年7月の脱原発デモに参加して以来、基本的には変わらない。以来この考え方に進展はない。

 
 第二に、「尖鋭化してもいけない。一歩引いて考えよ。尖鋭化させてもいけない。一歩進んで考えよ。孤立してはならない。孤立させてはならない。そして、そのように日常を生きようと努めること」。昨年9月にふと思いついてtwitterで記したのだが、これもまた基本的には変わらない。あくまで自分の都合の付く範囲で、いろんなところに顔を出す。思わず笑みがこぼれてしまうようなこともあれば、キツい言葉の応酬にいたたまれなくなる時もある。どっちがよくてどっちがいいというわけではない。ただ、その場に足を運ぶ。決して主体的であるとは思わない。けれど、その場で考える、ということには何かしらの意味があると思っている。


 第三に、これは僕の職業ある書店員としての仕事とも関わるのだけれども、言葉の生まれる現場・地平に、出来る限り近づいてみようということ。僕が扱う「言葉のパッケージ」であるところの本は、そのパッケージ化の過程で様々な人の手を経て形となる。本とはある種の工業製品であり、値段がついているという点ではたのあらゆる商品となんら変わりはない。物量も少なくない。そのため、言葉の生まれる現場・地平を日々の仕事の中で想像することは困難になっている。形として、パッケージ化された結果として受け止めることは出来るし、しなければならない。これは「消費」のレベル。もちろん、商品である以上「消費」のレベルを断じて無視してはならない。けれど、そこに含まれている「言葉」には、時として「消費」だけでは片づけられない何かがある。

 
 それは書店員である自分を見つめ直すと同時に、読者としての自分を問い直す作業となるだろう。


追記

 とにかく足を運んでみよう、そう思った先月の旅において、ヤマニ書房さんで「世界」を購入したのがそもそもの湯浅論文との出会いであった。その翌朝郡山で杉田俊介さんのtwitterを拝読し、帰ってから浅尾大輔さんが久々にブログを更新されているのに気づいた。単なる偶然ではあるが、僕にとっては様々なことが符丁のごとく重なるように思えた。その意味するところを、まだ解き明かしきれてはないけれども。


 浅尾さんのエントリは「ウォール街占拠2011 / Occupy Wall Street 2011」というもので、更新は2/10。確証はないが、僕には湯浅論文への浅尾さんなりの応答のように思える。ブログ更新を原則としてはおやめになった浅尾さんが、思わずパソコンに向かって記さざるを得なかったほどの力が、現在の状況と湯浅論文にはあると考えても差しつかえはない。もちろん、確証はない。

 
 浅尾さんの以前のエントリも好きではあったが、その醍醐味はやはり作品にあるという他ない。だからこそいわば封印をされたのでもあったろう。出会いがしらのようなこうしたエントリも実に興味深いのだが、だからこそ次なる作品はいかなるものかという期待も高まるのではある。じっくりと待つ覚悟はとうに決めているが、その間に「読者」として、「書店員」として、どこまで自分の力量を蓄えておけるか。ただ呆然と「消費」財としての言葉を待つのとはわけが違う。湯浅さんと同時代を生きていることの意味を考える、というのと同じく、浅尾さんという文学者を同時代にもつことの意味を考えたい。


 こういう考え方や仕事の仕方が、「市民」としての営みへと繋がっていけばよいのだが。




# by todoroki-tetsu | 2012-03-04 21:20 | Trackback | Comments(0)

湯浅誠「社会運動の立ち位置」を読むにあたって

 『世界』(岩波書店)3月号に掲載された湯浅誠さんの「社会運動の立ち位置 議会制民主主義の危機において」を、twitterで読んでみようと思う。途絶している雨宮さんの本のことも頭の片隅にはあるのだが、その途絶とも多少関係がある。


 今まで何度もtwitter読書をやってきたが、たいがいこのブログで何かを記すのは読み終えたあとだ。twitterで読みながら、あれこれ考えを膨らませていくのが主で、ブログでそれを総括するようなことはしたりしなかったりである。しかし、今回のこの論文は、タイトルにあるとおり立ち位置を、読む者である僕自身の立ち位置を、ある程度ははっきりさせておかねば取り組めないように思えたのだ。しかし、湯浅さんの論文とは一切無関係な内容である。

________________________________________

 もうじき20年前になることだが、学生時代に、ちょっとしたきっかけもあって学生運動をやっていた。主には学生自治会である。もともと人権とかジェンダーといった言葉でイメージされる領域には関心があったのだが、それらはいわゆる社会問題として僕の中では認識されていった。必ずしも学生自治会がそれらの関心と重なるわけではなかったが、様々なことがどうやらよくもわるくも一緒くたになっていったようだ。


 結局親のすねをかじっり続けていたわけなのでえらそうなことは言えないが、しかし、学費の問題はそうしたうしろめたさもあってか、僕の中では重要性を帯びていた。デモはもちろんのこと、トラメガをもって霞が関をうろついたこともある。出来不出来はあったが、アジ演説は嫌いじゃなかった。国会要請も一度や二度ではない。国民の教育権、といった言葉もこうした中で知ったのだった(理解は出来ていない)。

 
 ビラまきは得意だったが、オルグというか、人を組織するというのは苦手であった。けれど、いつの間にやらどちらかといえば運動の中でも中心に近い位置にいるようになっていた。その結果、学内での活動から離れ、半ば専従のようなことをしたりもした。自分なりに解釈した「正しさ」でもって人を傷つけてしまったことはいくらもある。そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだったが。


 一年ほど経て戻ってきた学内では、大きな問題が起きていた。学内では一線を退く位置ではあったが、執行部の一員として運動にはたずさわっていた。時は橋本内閣の頃。国立大学の独立行政法人化に伴う様々な変化――改革とも改悪ともいう――の中、意見の対立は学生・院生・教官・職員の間に、そしてそれらの中に、あった。


 自分ではこれだ、と思うことが他人にとってはそうではない。意見の対立を議論を重ねてひとつの共通の見解にまで持っていく……そんなことが出来た局面もある。当局相手の折衝も何度となくあった。うまくいったり、いかなかったり、した。そんな中で、自分が何をすればよいのか、判らなくなっていった。


 声を荒げる場面もあった。僕自身もそうだ。それを咎められたこともある。それに対して反論したこともある。そうしたやりとりを横目で見て、離れていった人もいくらもいる。

 
 長く続いた課題の、最終結論が出るというその時、僕は会場から離れた場所にいた。生協前の広場で、学内のみんなに会場に行くように声をかける、そんな役をやっていた。確か望んでそれをやったと思う。中心にいるには、あまりにつらかった。これが正しい、とか、これでいくしかないだろう、という判断は、他の人にとっては耐えがたいものとうつる。それは僕にとっても耐えがたい光景だった。納得できない人は、離れていく。では、何が正しいのか。判らなくなってどんづまりになっていった。今にして思えば、もっと清濁併せのむようなことが出来れば、要するに、「うまく」やればよかったのにとも思うが、21,2歳の若造にはそんな真似は出来なかった。


 集団的にたどりついた結果――それは妥協であり、それは敗北ともいえるし、限定付きの勝利であるともいえるものであった。要するに、力関係としてそういうことだったのだろうと思う。でも、それに対しどうしても納得できないという人もいくらか、いた。そんな人が怒り心頭で会場を飛び出してきたりもした。「執行部はぬるすぎる」と。僕はただ、あいまいな笑顔でごまかしただけの気がするが、記憶はぼんやりとしたままだ。


 そんなことを思い出すのが怖く、見知った人と顔を合わせるのが怖く、いまだに僕は学校を出てから片手で余るくらいの回数しか、キャンパスに足を踏み入れていない。10年も経過したのだから大丈夫だろうと思って先年試みたが、やはり呼吸がおかしくなってしまった。


 そのころ、むやみやたらと考えていたのは、「正しいこととはなんだろう?」ということだった。正しいこと、正しいと自分が信じることで、他人を傷つけてしまうことがいくらもあること。その時、自分は正しいことの側に立つのか、それとも傷つけないように守る側に立つのか。この問いのたて方が正しいのかは今でも判らない。けれど、当時の自分には、他人を傷つけてまで主張する正しさを、少なくとも僕自身は持ち得ない、そう思えた。運動を呼びかける側に立つ資格は僕にはない。

 
 その自己認識は、今も変わっていない。誰かがおぜん立てしてくれた場には時として足を運ぶ。この間の脱原発デモなどはそうだ。ただ参加するだけでいいのか、主催者の苦労を少しでも分かち合うべきではないのか、という声が自分の心の奥底でしないわけではない。けれど、ほんとうに申し訳ないのだけれども、それは今もまだ、出来そうにないのだ。


_______________________________________

 
 以上述べたようなことは、湯浅さんの論文とはまったく関係がない。けれど、湯浅さんの論文を読むうちに、僕は、その言葉に読まれていくだろう。読むための、というよりは読まれるための、準備であった。

 
 twitterでのタグは #tati_iti としよう。


Tags:# 

# by todoroki-tetsu | 2012-02-21 23:27 | Trackback | Comments(0)

帰ってからのこと

 郡山を出てから、家にたどり着くまでに3時間弱。近いものだな、と改めて思う。


 とにかく洗濯をしなきゃいけない。明日からはまた仕事だ。洗濯機を回しながら珈琲を淹れ、一息ついてから本棚あさりにとりかかる。普段の未整理がこういう時に響く。掘り起こそうとしてまたぐちゃぐちゃになり、次に何かを探す時にまた一苦労。しかも、そうしたことが嫌いではないのだから性質が悪い。


 何冊もある都留さんの本を、あたりをつけながら引っ張り出す。目指す記述は『21世紀 日本への期待』(岩波書店)の中にあった。武藤さんが触れておられた、電通の「10カ条」に関するそれである。都留さんはここ以外でも言及されていたかもしれないが、差し当たってはこの1冊で十分だ。


 「成長それ自体が目的ではない」ことを明らかにするというのがここでの大枠の文脈である。そして特に、成長をはかると思われるGDPという数値が、決して私たちの生活実態のゆたかさを表すものではないということが説得的に語られるのであった。これが単行本となったのは2001年のことだが、この10年余りで、この指摘を残念ながら身をもって知ってしまったように思う。


 この電通の「10カ条」――ここでは都留さんに従って「戦略十訓」とし、引用しておこう(同書P.166に記載された注より)。

 第一、もっと使わせろ。第二、捨てさせろ。第三、ムダ使いさせろ。第四、季節を忘れさせろ。第五、贈り物に使わせろ。第六、コンビナートで使わせろ。第七、きっかけを投じろ。第八、流行おくれにさせろ。第九、気やすく買わせろ。第十、混乱をつくりだせ。


 
 書店という小売業でメシを食っている人間が、これを全否定するのは難しい。第二とか第三、第八はいささか行き過ぎの感はある。第六や第十の意味はよく判らない。けれど、第一はもちろん、第五や第七はもっと本を買ってもらうためにはどうすればいいのかと考える身としては、ヒントになりそうだし、実際日々実行していることのいくらかはこうした言葉で表現出来るようなものでもある。


 かといって、これらを全肯定も出来ない。それは本という言葉のパッケージであるところの商品の特性にも関わるだろうし、経済学でいうならばいくらかなりとも制度派的な考え方にシンパシーを覚える――というよりも、市場だけで世の中動いちゃいねぇよ、と思う者として、少なくとも「戦略十訓」が適用しうるのは極めて限定された条件においてのみだ、というところまでは、言える。


 何より、これに対して「屈辱」を感じた武藤さんと敵対しようとは思わないし、思えない。武藤さんにもし叱られてしまったらどうしようもないのだけれど、市場というものはおそらくなくなるものではない。けれど、それに人間が過度に振り回される必要はないし、またそうあってはならないと思う。市場を社会に埋め戻す――そんな風に表現をした人がいたと記憶する(それを確認するにはまた本棚をひっくりかえさにゃあならんのだが)。イメージはこれに近い。それを可能にする言葉として、再びスピーチを思い起こす(『福島からあなたへ』、P.26)。


 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。 

 便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。

 原発はそのむこうにあるのです。



 武藤さんを絶対的存在として称揚してはならない。同時に、貶めてもならない。当たり前のことだが、どちらも失礼だ。確かにすごい人だと思うけれど、そのすごさは自分も生活し、働いている同じ社会・同じ時間と地続きであるというべきだ。自分とは無関係の地平にある存在なのではない。このことは何度でも思い出す価値がある。そして、そうした人が発した言葉が突き付ける絶対性が、確かにあるということを記憶にとどめよう、出来る限り。

 
 だとするならば、僕が今働き、暮しているフィールドにも、そのような他者がいると考えなくてはならない。自分が逃げも隠れも出来ない場所で、他者との出会い直しをしなければならない。それは時としてお互いの傷つけ合いをも伴う。きれいごとでは済まされない地平。その先に何があるのかは、まだ判らない。


_______________________________________


 福島から帰って来てちょうど一週間。ようやくせいぜい二日分の日記を書き終える。相変わらず日々は慌ただしく、とりたてて何かが変わったわけではない。そんな殊勝な人間ではもとよりない。だけれども、何かこう、「見え方」が少し変わったような、そんな手触りは、ほんとうにわずかだけれども、ある。それが何なのか、大切に見極めていこうと思う。自分の欲望の暴力性を問い直す「デフォルト」への道のりは、まだ遠い。
 


# by todoroki-tetsu | 2012-02-20 21:44 | Trackback | Comments(0)

帰途

 郡山のジュンクさんは昨夏にも訪れた。いわゆる震災関連書、いわゆる原発関連書が出るたびに、このお店で何をどう陳列しておられるのか、がそこはかとなく気にかかっていた。じっくりと拝見する。ヤマニ書房さんで得たのとはまた違った刺激を受ける。

 
 ジュンクさんの入る百貨店を出てから、さてどうしようと思案。少し離れたリブロさんにも足を延ばすことにする。地元のFM放送らしき音声が通りに流れている。地名と数値を読みあげている声が聞こえてくる。ほどなくして声はリスナーからのメールに切り替わる。告白がどうこうというのが今日のテーマらしい。そうか、バレンタインデーの前日か。


 月曜のお昼前、車は多いが人通りはさほど多くない。途中通りがかった公園ではお年寄りが何人かベンチで談笑している。それなりに寒いけれど、日差しがあるのでずいぶんとしのぎやすい。遠くの方に見える山並みがきれいだ。


 リブロさんの棚を拝見した後、もときた道を引き返す。平日日中のこととて、どこもさして人が多いわけではない。車は多そうだ。「以前」を知らない以上、あれこれ考えるのも失礼というものだろう。ふと、「釜ヶ崎が人権問題の『名所』になっている」(生田武志さん、『フリーター論争2.0』、P.142)との言葉を、再び思い起こす。

 
 自分が日々働き、暮している場所からほかのところに出かけて見聞きし、考えたことは、自分が日々働き、暮している場所で結び付けられなければならない。そのままの形で結びつけるのが難しければ、ばらして再構築してみよう。それは最低限の倫理であるように思える。それこそ、杉田さんのいう「デフォルト」であるかもしれない。最低限ではあるが、ハードルは高い。考えよ。


 とはいえ、やっぱり腹は減る。ぱっと見かけたお店に入り、頼んだものが出てくるまで待つ。携帯でtwitterをいじくると、武藤類子さんがネットのテレビか何かにご出演だったようだ。その感想やら反響やらがちらちらと目に入る。『福島からあなたへ』では「電通の消費を促す十カ条」(P.52)と表記されている部分へのリアクションが大きいようだ。はて、そういえば都留重人さんもどこかで言及しておられたな、あれはどこだったか……と思いだそうとしているとお膳が運ばれてくる。まあいいや、帰ってから調べよう、と食欲を優先する。


 食事をおえ、さあ、いよいよ帰るだけだとなったのだが、なんとなく気持ちがだらだらしている。腹いっぱいのせいだということにして、腹ごなしがてら駅ビルをうろうろする。そうだ、くまざわ書店さんがあるではないか。こちらもまた、いわゆる震災関連書を集められたコーナーを中心に拝見する。場所が変われば顧客も変わり、大きくいって同じ商圏であっても、書店の品ぞろえは随分と変わる。普段身にしみていることだが、ジュンクさん、リブロさん、くまざわさん、それぞれにおける顧客と書店員のニーズと提案のキャッチボールの様子を改めて想像しなおし、新幹線のきっぷ売場に向かった。


 帰りの新幹線は、団体客に遭遇してずいぶんと騒々しい。そこそこの混み具合でもある。とはいえ、乗っている時間は1時間程度。車窓を眺めている間に着くだろう。わりあいにこの道中の景色は好きだ。


 結局自分は何をしにきたのだろう。書店見学は確かにしたし、勉強にもなった。それは仕事で形にしていくことが出来る。だが、仕事を離れて、それこそ個人(「市民」というにはためらいがある)としては? 

 何かを見た気になるな、ということくらいは心得ているが、しかし、「何しに来たの?」と誰かから聞かれたならば、飛び上がって逃げ出しただろう。劇場版パトレイバー2における荒川のことなどが、不思議と思い起こされる。そのイメージはやがて中島みゆきさんの「吹雪」へと繋がっていく。


 他人を手段としてではなく目的として云々、というのはカントの言葉であったか。批評家の文章を通じてしばしば目にしたことを思い出す。意味がさっぱり判らない。だんだん眠くなってくる。とにかく、帰ったら本棚をひっくり返さねば……。



# by todoroki-tetsu | 2012-02-20 13:17 | Trackback | Comments(0)

郡山の朝

 郡山は以前一度だけ降りたことがあったが、それは夏の昼間の話。風の強い冬の夜、ただただ宿へと一直線に進む。風呂で身体を温め、早々に寝床に就く。

 
 翌朝、のんびり起きてテレビなんぞを見る。普段テレビを見ないので「カーネーション」の流れが全く判らない。有働さんはいい笑顔だ。

 
 あとは東京に帰るだけなのだ。新幹線を使えば大宮まで1時間、つごう2時間少々で家には帰ることが出来る。近いものだと思う。だからどうした、と自分の中のもうひとりがすぐさまつっかかってくる。面倒なのでそのままやり過ごす。

 
 調べてみると駅にほど近いところに、自分が会員証を持っているネットカフェがあった。少しばかり仕事もあるので、珈琲を飲みながらメールでもうつことにしよう。ゴミの散らばるエレベータで受け付けフロアまで上がる。ごく普通のリクライニング席をお願いする。ブースが比較的広いのがありがたい。


 案件をふたつみっつばかり片付け、ちょっと時間が余ったので何の気なしにネットをガチャガチャいじる。杉田俊介さんがtwitter(@sssugita)で、ご覧になられた映画のことを中心に久々に連投されているのを拝見する。そういえば、夏に南相馬に行った時にも、その前後で杉田さんのtwitterを拝見したなと思いだす。偶然だなあと勝手に思い込む。その連投の中で、特に考えさせられたのは2/12、23:02の時刻が付された下記。


 「9・11」は映画的想像力を逆用した。私たちはテレビ・ネット動画・映画その他で「3・11」をほどほどに消費し、楽しみ、道徳感情を自慰的に満足させた。ほどほどに。これは当たり前の欲望だ。私もそうだ。ならばせめて、その暴力性を「映画として」問い直す。勿論これはデフォルトに過ぎない。



 「道徳感情を自慰的に満足」させている、まさにその行程の途中の郡山でこの言葉を読んでいる自分は何なのか。杉田さんはかかる欲望を「暴力性」という言葉でも表現しておられる。そしてそのような欲望の自己認識と問いなおしは、「デフォルトに過ぎない」のだ。語っておられる題材は映画であるけれども、この問いはおそらく映画にとどまるようなものではない。


 ……「デフォルト」にすら到らないところで、僕はうろうろしているだけなのかもしれない。だがしかし、僕は自分の職場で、自分の生活で、僕の問いを生きるしかない。称揚も卑下も無意味。ただ、手前で考え抜くしかないのだ。


 ところで、『福島からあなたへ』において、武藤さんは「私たちとつながってください」(P.22)と述べた。「どうか福島を忘れないでください」ともおっしゃった(P.24)。僕はこの言葉を前にし、躊躇する。


 「つながってください」という呼びかけには、いつかきっと自分のことしか考えずに振り払うであろう自分が容易に想像できてしまう。「忘れないでください」という呼びかけには、ありとあらゆるたいせつなことを忘れてきた自分が対置される。


 確かに武藤さんの言葉は大切だし、やはり自分も出来る限り応じたいと思う。けれど、それに応じるというのはほんとうにはどういうことなのか。自分に「出来ること」だけでいいのか――課題の大きさ・深刻さを基準にするのか、自分自身の状況を基準にするのか、というある種の普遍的な問題。「意義と任務」の問題と言いたくばそれもよかろう――。「忘れない」とはどういうことか。時折思い出すようなことでも「忘れない」と言いうるのか。

 
 もちろん、これらは武藤さんに対して問いかけるべき問題ではなく、その言葉に触れている僕が、他ならぬ僕自身に向けて投げかける問いである。


 呼びかける側/呼びかけられる側との分断は、悪意からも善意からも、意図してでも無意識であっても、容易に出来る。都市部で住む人が、自然の中でなるべく電気やガスを使わず暮そうとしている人に対して「違い」を見出すことはたやすい。あなたとわたしを切り離してしまえば、心理的にはずいぶんと楽になる。


 「あれは他人に問題であって自分には関係がない」というように使うことも出来るし、ある程度関わろうと思っている場合でも、「他人の問題に関わっている他人であるところの自分」、という立ち位置を確保してしまえば気が楽だ。「自由な意思は撰択するからだ」(吉本隆明、『マチウ書試論』)と皮肉気に言葉を吐いてしまえ。さすれば呼びかけに応ずるも応じないもすべては自分次第となるだろう。自分の立ち位置は常に安全圏だ。

 
 そのような安全圏から武藤さんの言葉を読みむことは、それこそ「暴力性」のある「欲望」でしかあるまい。タイトルが示す「あなた」が、他ならぬ自分自身であるとして読むならば、どうあっても自分自身の問いの中に武藤さんの言葉を埋め込んでいかなくてはなるまい。
 

 そこまで考えてみてふと時計を見ると、10:00に近くなっている。そろそろ腰を上げよう。郡山のジュンクさんが開く時間だ。



# by todoroki-tetsu | 2012-02-17 13:52 | Trackback | Comments(0)

< 前のページ 次のページ >