大江健三郎「戦後世代のイメージ」

 「生前退位」をめぐる報道。なぜいまこのタイミングなのか。僕は一瞬、参院選が何か影響しているのかと考えた。天皇じしんの意図か周辺の意図か、あるいは「政治」的な何ものか。


 ふと、学生時代に聞いた講義を思い出した。今上天皇が何かの折に「日本国憲法」という言葉を用いた(いつの発言だったかは覚えていない)、それに対していわゆる「右派」知識人が強く反発をした、と。95年ごろの講義であった。


 その記憶のせいか、今上天皇は「日本国憲法」について何か格別に思い入れがある、そんなイメージを常に抱いている。即位に際する発言でもそれはなんとなく感ぜられる。思わず、何らかの意図を勘ぐったのは、政治センスとしては間違っているが、そういうことだ。


 もうひとつ、今上天皇についての僕の手掛かりは、大江健三郎さんにある。大江さんは天皇(制)について少なくない文章を記しておられる文学者の一人と思われるのだが、ほぼ同世代の今上天皇に対して呼びかけたような文章があったはずだ、と本棚から引っ張り出してきたのが「戦後世代のイメージ」。1959年初出とある。「週刊朝日」に連載した一連のコラムをまとめている。僕の手元にあるのは、講談社文芸文庫版『厳粛な綱渡り』。

 
 これらは、皇太子ご成婚にわく日々に記されたものだ。そこで大江さんは自身の戦争末期の体験から現在(1959年)までを振り返る。気になるところを抜き出してみる。


 皇太子妃が決まったことを祝って旗行列をしている小学生の写真があった。その歓呼している幼い顔のむれの写真は、ぼくにとって衝撃的なものだった。
 あの子供たちを、旗をもって行進させたものはなにだろうか。親たちの影響、教師の教育、根づよく日本人の意識の深みにのこっている天皇崇拝、または、たんなるおまつりさわぎの感情か。
 日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう。
 しかし、ジャーナリズムの力が、あの子供たちに天皇の特定のイメージをおしつけたあげくに、あの行進が歓呼の声とともにおこなわれる結果をまねいたのだとしたら。
 あの小学生たちは、にこにこしていたが、ぼくらは子供のころ、おびえた顔をして、御真影のまえをうなだれて通り過ぎたのだ。



 「日本人の一人ひとりが、自由に天皇のイメージをつくることができるあいだは、≪象徴≫という言葉は健全な使われかたをしていることになるだろう」という一文は今なお試金石である。


 ぐっと飛ばしてこの連作コラムの最後を見てみよう。同世代の皇太子(当時)に、大江さんはこう呼びかける。

 
 皇太子が眼をつむって、日本の国民について考えるとする。かれの頭にうかぶ日本の国民は、どんな顔をしているだろう?
 (中略)ぼくは皇太子に、日本人のなかの天皇制にたいする考えかたについて深く広い知識をもっていただきたいと思う。とくに、あなたと同じく戦後のデモクラシー時代に育った若者たちの声に、耳をかたむけていただきたいと思う。それら若者たちの顔は、決してすべての顔が微笑をうかべているとは限らないだろうから。



 この文章を今上天皇が目にしたことがあるのかどうか知らない。しかし、気脈通ずるところは確かにあったのではあるまいか。ぼくは制度としての天皇制には違和感を覚えるものであるが、それが一朝一夕にうんぬんされるようなものではないことは十分理解している。と同時に、その制度の中で生き抜く個人の姿を見るとき、今上天皇のふるまいはおのずと敬意を感じざるを得ない。


 「戦後世代」、戦後民主主義といわれるものを最初に体験し、それをたいせつにしてきた世代。日本国憲法世代といってもいいかもしれない。「戦争を知らない子供たち」の子供たちであるぼくらが、共通にできる何ものかなど、もうないのかもしれない。あるのはただの雰囲気か、あたりさわりのない昔話か、同じ趣味の仲間でしか通じない言葉だけか。そこを自分じしんでえぐる覚悟が僕にはあるか?


 途中飛ばしてしまったところには、こうある。「再軍備」や「自衛隊」にまつわる一文。


 われわれには、現実を見きわめることの困難さにへきえきして、現実に背をむけ、現実のかわりの言葉だけをもてあそぶ傾向があるということだろう。
 現実を言葉におきかえること、これはやむをえないばかりか、文化的な行為である。しかし、他人がおきかえてくれた言葉をそのまま服用して、自分自身が現実を自分の言葉におきかえることを怠ることは、危険な要素をふくんでいる。それは、自分の肩のうえに、他人の頭をのせて動きまわることだからである。



 自分のあたまを他人に「乗っ取らせない」こと。矛盾するようだが、他者の力を借りつつそれを行うこと。意固地や偏屈や偏見をすべてさらけ出しながら昇華させたそのとき、何が見えてくるだろう。
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# by todoroki-tetsu | 2016-07-16 11:19 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

ベルク「War is over」問題について

 東京を離れてしばらく経つ。もちろん、最近の動向は肌感覚ではわからない。


 TWITTERでなんとなく見ていると、どうやら「War is over」という貼り紙か何かに対し、オーナー・ルミネに「政治的だ」という意見を寄せた人がいるらしい。


 すぐさま感じたことなどはあれこれあるんだが、これは少し考えなければと思った。


 「War is over」という言葉が政治的だとは思わない。それを掲げてなぜ悪いのか。がんばれベルク……それくらいのことはすぐ言えるし、それは本音でもある。しかし。


 僕は小売業の人間である。日々、とは言わないが、いろんなご意見を頂くことが少なくない。接客サービスなど基本的かつ小売業共通の事柄もあれば、どの本がどう置かれているか/いないか、など、非常にデリケートな問題まで多岐にわたる。明らかにこちらに非があるものもある、そうとも必ずしも言えないなと考え込んでしまうものもある。


 オーナーとか、本社がからむと、一応何かしらの回答をしなければならない。こんなもの無視してしまえ、というものも中にはある。しかし、そうともいえないはざまであれこれ悩むことも多々あるのである。


 そうしたことを当事者として経験している身として、ただのベルクファンとして言いたいことを言うだけでいいのか、それはかえってご迷惑をおかけすることになりはしないか、自己満足にすぎないのではないか。そんなことを考えていた。


 今朝、ようやく時間ができたので、ひとまずルミネさんにメールした。この数日文面を考えていたのだが、基本は「何か言われたからには何か対応しなければ、というのはわかる。けれど、本件はテナント任せにしてしまえ、ベルクとベルクファンならうまくやる、「ご意見承りました」くらいでとどめておくのが最良でしょう、という趣旨。
 

 ルミネさんに味方になってくれとはいわないが、少なくとも敵でさえなければなんとかなる、という思い。オーナーがこうした態度さえ取ってくれれば、顧客との関係がしっかりできているお店はどうとでもできる、と考えたのだった。


 事態は収束するのかしないのか、いまだにはっきりしないようだが、まとまらないながらふたつのことを考える。


 ひとつめ。ずいぶんといやな世の中になったが、何かしなければいかんな、ということ。少し話が変わるが、日清のCMで起用した女性タレントさんについてクレームが入り、打ち切りになったことがあった。これについて小田島隆さんが「打ち切りにしたのはあまりよくない。クレーマーをつけあがらせるだけ」という趣旨のことをお話しされていた(TBSラジオ「たまむすび」)。

 
 店が気に入らなければ行かなければいいだけのことで、実はそうして顧客が離れるのが商売人としてのダメージは大きい。しかし、それでは承認欲求が満たされぬのだろう、だからいきおいこんで何かを言ってきたのではないかと思われる。朝日新聞に出稿する出版社さんにいちいちご意見ファックス送る心性とさほど変わるまい。ならば無視するに限る。とはいえ、そうもいかない仕組みになっている会社も少なくない。ならば、と思い、放っておいてほしいとオーナーに意見を送ることで何か間接的にでもお役に立てれば。


 ふたつめ。ベルクさんに任せれば大丈夫、という信頼感。僕がただの顧客であるだけなく、こうした信頼感を持つにいたった一件がある。


 2009年1月のベルク通信が見られる。ここに迫川さんの「私の表現者会議」という一文がある。

 
 これだけ今見返しても、何のことやらと思われるだろう。ここに書かれている展示の状況を端的に言えば、「壁一面にメモがやたらベタベタ貼りまくられている状況」であった。たしかに見栄えは悪いといえば悪かった。この時は二日とあけずに通っていた時期だったが、ある時随分と展示が整理されたと記憶している。あれは
何だったんだろうな、と思っていたところに拝見したのが上記ベルク通信だった。

 
 僕はただの書店員だが、著者さんの様々な思いにぶつかることもある。一緒にやれることもあればやれないこともある。ほかのお客さんとの兼ね合いとか、いろんなことを考える。うまく折り合いを付けられるとき、そうでないとき、いろいろある。そうしたはざまの苦悩を率直に記されたこの文章に触れ、あ、この方は心底信頼できる、と思ったのだった。この思いは今なお変わらない。


 だからこそ、ベルクさん自身が判断・実行する環境であってほしい、と思う。なるべく足手まといになることなく、もしお役に立てることが出来れば、と思っている。
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# by todoroki-tetsu | 2016-05-18 13:34 | 運動系 | Trackback | Comments(0)

中島岳志「立憲主義と保守」(4/13「朝日」)

 よい意味でなんだかぞわぞわする。そういう経験は本厄を迎えてだいぶ減ってきた気がする。よくない。摩滅しているか惰性なのか鈍麻なのか。精神のはつらつさがどうもなくなっている。「自分の感受性くらい」、が頭の奥底で低く鳴る。

 そうしっかりと様々な言葉を追っているわけではないけれども、中島岳志さんの言葉に接するとき、「ぞわぞわ」した感触が自分の中に沸き起こってくるのがわかる。どういうことなのか、感想を書き連ねていけば何かわかるかもしれないとノープランでパソコンに向かってみる。

 記事前書きで「保守」と「リベラル」、「憲法を書き換えろ」と「絶対に変えるな」が対比される。「保守」と「革新」、「改憲」と「護憲」という対比なら僕はしっくりくるのだが、これはいささか古典的な理解だろうか。「リベラル」というのはもうちょっと別の視点から考えられはしないだろうかとも思うけれども、今回のテーマは「保守」なのでひとまず深入りしない。こんなことを記さなくてもよいだろうし、文句をつける意味ではなく、ただ、僕の持っている「構図」(良し悪しは問わない)を記しておかないと、どうにも誤解しているぞ、食い違っているぞということになりかねないなと思うのでひとまず。つまり、いささか図式主義的な理解しかない人間だということの断りである。

 さて、「立憲主義は保守的な考え方に立った思想」と中島さんは語り始める。何度かお話を講演会などで伺う機会のあった僕には、この点はある程度既知である。「設計主義批判」とでもいうべきお立場だろうと思う。人間自身にある種の謙虚さ・内省を促す考え方、という風に最初伺ったときに感じて、なるほどこれは大事な考え方だと感じた。本稿でもその感想は変わらない。

 「人間の理性には限界があり、必ず間違いを犯す、権力者も時に暴走してしまうという保守的な人間観」が立憲主義だ、と。ここに加えて重要なのは、「死者の立憲主義」という言葉だろう。「国民の中に『過去の国民』を含むのだ」と。「死者論」の地平は広大と再認識する。

 では、憲法を変えてはいけないか。そうではない、と中島さんは言う。それは「ある特定の時代の人間(憲法制定に関わった人たち)を特権化することにつなが」るからだ、と。「ただ、一気に変えようとしてはいけない。抜本的な書き直しをすると、革命のようなことになってしまう」。ここで「革命」がやや否定的にとらえられているが、渡辺一夫さんが加藤周一さんたち若者の前で軍歌のレコードをかけた精神と通ずるものと僕は思う。

 設計主義に立っている、という点では安倍首相も『護憲派』も同じだ、本来の保守は「憲法を保守するために『死者との対話を通じた微調整』を永遠に続けていくことだ」と中島さんは述べておられる。その微調整の対象として、9条が挙げられる。「国際秩序を維持する上で、一定の軍事力が必要であるなら、自衛隊を憲法で規定して、歯止めをかけるべき」と。僕は9条堅持派で異論はあるが、その点はあとで述べることにしよう。「戦後の日本は、9条と日米安保の微妙な綱引きを、絶妙のバランスでやってきました」「そのやり方には英知があった」という指摘には全面的に同意する。

 論稿後半は「寛容」に焦点があてられる。保守、リベラル、左派、いずれも寛容には見えないという記者(尾沢智史さんとある)の切り出しに対する中島さんの言葉は極めてしっくりくる。どちらも『アンチの論理』でやってきたためだ、と。お互いがお互いを少数派だと思っており、「どちらも自分たちの言葉が取り上げられないというルサンチマン(怨恨)があるから、攻撃し合う」。「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということですが、アンチの論理のためにまともな議論が成立しない」。

 中島さんの考える保守についての一文でこの論は締めくくられる。福田恆存さんへの無上の敬意を感じさせる。

 以上が感想のような要約のようなもの。ぞわぞわするのは、なるほどと大きくうなずく部分と、いや、ここはどうも自分は違うと思う、でもそれは自分の考えが浅はかだからかもしれないぞ、など、いろんな考えが頭をめぐるからであるようだ。

 共感する部分については記したから、そうでない部分を自分なりに整理してみたい。

 第一。「憲法を変えてはならないというのは、ある特定の時代の人間を特権化することにつながります」、という点。確かにその通りかもしれない。しかし、一方で「憲法を生かす」という表現がある。あまりに紋切り型過ぎて何の力も今は持ちえない言葉なのかもしれない。しかし、乾ききった言葉の奥底から、その精神を掘り起こしてみたとしたらどうだろう。日本国憲法の条文をフル活用しながら、日々起きる新たな課題に向き合ってきた試みは、今までになかったであろうか。そこにも「死者との対話」がありはしなかったか。日本国憲法を媒介として、もっと言うなら「依り代」としての、死者との不断の対話(上原專祿の「回向」)。変えないこと、むしろそこにとどまることで深まる対話というのもありはしないだろうか。もちろん、中島さんは「微調整」とおっしゃっておられるから、熟慮熟議を重ねての改憲という意味合いを込めておられるのだろうと思う。異論というほどの異論ではないような気がするのだが、変えないという前提でぎりぎりまで対話をしていく、そうしたことにより重点を置いてみたい、と考えている。

 第二、9条について。現実とのかい離がこの間で著しくなってしまった、ということはよくわかる。せめて「英知」のあったかつてのやり方に戻したい、というのが切なる願いである。ほんのわずかな海外生活経験から、「よその国には手を出しません」と宣言していることの安心感は多大なものがある、と実感しているから。しかし、ここまで事態がグダグダになってしまった以上、「歯止め」が必要というのも確かにその通りだと思う。政権のほうを何とかしたら何とかならんだろうか、というのは書生論だろうか。「9条」→「解釈改憲」→歯止めのための「憲法改正(もちろん、微調整)」と、「9条」→「解釈改憲」→「9条によせて解釈改憲を修正する」。しかし、いずれにせよ、「死者との対話」という謙虚さを持ち合わせていなければならないことには間違いない。

 第三、「アンチの論理」について。順序逆になるが、このひとまとまりの中島さんの語りの結論は「重要なのは、護憲か改憲かではなく、平和を守っていくためには憲法をどう考えるべきかということ」という点にある。これに対し、この間様々な取り組みが進んでいるといわれる市民主導の「共闘」を対置することは、政治演説としては容易である。情勢論としてもそう間違ってはいないだろうが、それでは行論とかみ合わない気がする。「アンチの論理」がなぜ根強いか、と考えてみたい。書店員としても切実なのだ。

 お互いを少数派だと思っている、というのは同時代人としても書店員としてもよくわかる。どのように「本」という商品になるか、ということで体感する。たぶん、編集者・営業担当であれば「読者」という市場を想定しているだろうから、また別の視点があるだろう。
 
 少し脱線する。ひとつの方法として、あるキーワードの含まれている本がどれくらい出ているか、その立場がどのようなものか、と調べてみるというのがある。古い話だが、例えば「規制緩和」。今はどうかわからんが、「規制緩和」と銘打った本の多くがその批判であった。もちろん、キーワードがストレートに本の中身を反映させているわけではないから注意は必要だが、書店員的な感覚としてはこれでひとまずはよい。

 これは「少数派だからしっかりと言上げせねば」という意図が感じられる例、といえる。少数派というのがしっくりこなければ、(ためにする意味ではない)「批判」といってもよい。また、そうした言葉が一定の市場を形成しえていた、ともいえる。

 また別の例。「韓国」や「中国」というキーワードでどんな本が出ているか、調べてみる。出版年月順にしてみようか。いつのころからか、潮目が変わったことがわかるだろう。「海外事情」の棚は、その国のことを知ろうという本、その国の人が書いた本が多くを占めたものだった。そうした並びで置くのにしっくりこないものは、様々な主張をまとめた棚(例:「オピニオン」などの棚名称)に置く。そうしたものが増えた。これはそうしたことを言うのが「少数派」だと思っているということもあるのかもしれないし、市場という観点から言えば、半年以上売れ続けるロングセラーはほぼないが、3か月に限ればある程度実売数が読める、ということもあるだろう。

 96年をピークとする出版業界において、右肩下がりを続けている市場の中、確実に数が読めるというのは重要である。どの程度数が読めるか、ということを僕自身版元さんには機会あれば言ってきた側の人間である。それはそれで間違ったことばかりとはいえないが、いつの間にやら数が読める本=シンパ・信者しか買わないであろう本が増えてきたような気がする。よかれと思ってやったことが結局自分の首を絞める。どうもそんな気もしてくる。目先の日銭を稼がなきゃいかん状況において、それはそれで商売としては大事な部分でもあるのだが、市場そのものをどう拡大するかというのは常に課題である。

 話を戻そう。「アンチの論理」でも社会がそれなりに成立していたのだとしたら、それはどういうことだろうか。みんながみんなどっちかに属して「アンチ」であったか、さもなくば、一定の中間層が存在していたからではないかと考えられる。「一般大衆」なる言葉もあったな、となると後者だろう。中間層が何らかで極小化し、「アンチの論理」が際立ってきた、というところだろうか。

 中間層、という言葉で僕が今イメージするのは、月に1冊か2冊くらいは本でも読んでみよう、と考える人。それくらいの時間とカネはある、ということ。景気良くなるか消費税下げるかすればそれに近い状況が創出されるだろう、とも思うが、それはそれですぐにいく話ではない。ならば、自分の考えを深めよう、そのためには異論も手に取ってみよう、と感じてもらえる工夫を、書店員の仕事を通じてやっていくほかはない。

 長々書いて結局のところ自分の仕事に行きついてしまったが、中島さんが熱心に語っておられることを自分なりに引き付けて考えるとするならば、このような方法以外僕には見当たらなかった。



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# by todoroki-tetsu | 2016-04-14 12:36 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

走り書き

・時間は作るものだ、という。様々な環境変化と仕事その他の関係で何もかもが後手に回る。言い訳を探しているだけだろう。「そもそもがひよわな志にすぎなかった」とは誰の言葉だったか。

・文芸誌の目次だけは見る。目までは通せていない。買いそびれるものもある。しかし、同時代の批評家が確か格闘している。格闘し続けている。そのことだけでも勇気づけられる。何が「あがり」なのか、そんなことを全く考えずに突き詰めていく姿。自分自身がどこに向かっていくかもわかりはしない道。そんな道を意図して選んだか選ばざるを得なかったか、そんな問いは無意味に思えてくる。彼らの存在は僕にとってかけがえのないものだ。

・1/7付「朝日」、中島岳志さんの言葉を読む。運動における「罵声」について。その通りだと思う一方、そういわざるを得ない何ものか、について考える。少なくとも活動家振りして「運動を知らない云々」などと言う気はなければ言う資格もない僕は、そう何度も国会前含め各所に赴いているわけではない。少ない回数の中、一人でできないことを集団の力を借りてやってはいけない、と自己規制しようと努力しているが、集団でいるときにエスカレートする自分を感じる。切羽詰まって「罵声」とならざるを得ない、そういう人もいるだろう、と考えて、さて自分にはそうした必然があるのか、と問う。常にここから始めなければ、と思う。渡辺一夫が軍歌のレコードをかけたこと、その時の加藤周一の反応と彼自身後年の振り返りを想起する。「たしかに戦後二〇年を通じて、その歌(「勝ってくるぞと勇ましく……」)は私の耳の底にも鳴りつづけていた。しかしその歌が聞こえないほど大きな声で怒鳴ることの必要な時もあったのである」(「続羊の歌」)。ここまでいけば文学だ。少しでもここに近づけるような内省を自分でしなければ。

・こういうことを書くと積極的に参加されている方からおしかりを受けるかもしれない。あらかじめ断っておくが、これはすべて僕自身が自分自身に対して内省をしなければ、と言い聞かせているだけであって、他者に内省を促そうというものではない。他者にいらぬ不快感を与えてはいけないので念のため記しておく。

・今朝1/8の同じく「朝日」。中村文則さんが長文を寄稿されておられる。中村さんは僕より二つ若い。微妙な差はあるかもしれぬがおおよそ見てきた風景に似通った部分はある、といって失礼には当たるまい。中村さんがそう明記しておられるわけではしないが、「95年」(中島さん上記で言及)以降の風景である。僕は9条堅持すべきと実体験から考えているものだが、結論を同じくするから支持する、という意味で興味深く読んだのではない(「政治」にとってはそうした読み方も必要だと思うが、今の僕に必要なのはそういう読み方ではない)。もっとも振り返ることの難しい「近過去」を、短いながらも鮮やかに切り取ってくださった。そこに心が動かされる。動かされるのはなぜだろう、と考える。たやすく結論を出すのはやめよう。じっくりと考えていけばいいのだから。

・「『日本は間違っていた』と言われてきたのに『日本は正しかった』と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである」と中村さんは書く。「日本(人)論」が「日本(人)礼賛論」に変化したのはいつからか。書店員としてのもんだいにここで直面する。


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# by todoroki-tetsu | 2016-01-08 10:00 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の九

進める前に、さかのぼる。どうしても読み返してみたくなった箇所。

いったい誰がだまして、誰がだまされたのか。「日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う」と述べたあと、ややあってこんな文章がある。


少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐに蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

そんな状態に国民が追い込まれてしまったからだ、と万作は言う。しかし、と続けるのだが、そのあたりは「其の四」「其の五」にゆずる。追い込まれた末のだましあい。そんな状況であっても、だましもせず、だまされもせぬように生き延びていくことは出来ないか。万作が記した「自己反省」という言葉を読むとき、政治か文学かという根源的な問いに直面していることを忘れてはなるまい。


「滅びるね」ーー広田先生の言葉が残響する。




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# by todoroki-tetsu | 2015-02-03 00:39 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の八

著名な言葉があらわれる。


「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

だますこと(人)とだまされること(人)の区別はそうはっきりしたもんじゃない、そもそもだまされたといったからと主張したからと言って責任から逃れることはできないじゃないか。だまされることそのものが悪である。万作はこう指摘してきた。ここから万作自身のこと、具体的にはこの一文を記すきっかけとなった映画に関する記述に進むのであるが、その直前にあたるのがこのあたりとなる。


一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

「戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが」(!)。当時この言葉がどう読まれたのか、僕は知らない。どのような考えからであれ、責任「追及」に執着していた人からはずいぶんと反発を招いたのではあるまいか。繰り返すが、この文章は1946年8月発売雑誌に公表されたものである。

脱線するが、思いつく人の生年を記してみる。


・上原專祿:1899年

・渡辺一夫:1901年

・伊丹万作:1900年

・小林秀雄:1902年

・中野重治:1902年

・高島善哉:1904年

・宮本顕治:1908年

・丸山眞男:1914年

・加藤周一:1919年

・吉本隆明:1924年


僕の中では高島善哉より上と下で受ける印象が随分と変わってくる。たまたま何かしらのきっかけで知るようになり、何かにつけ参考とする/したいと思う人を少し並べてみただけなのだけれども、「国民」のとらえ方についてしっくりくるのは高島より上の世代である。


こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であって、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。

この次に政治問題についての興味深い記述がつづくが、その前に、万作のこの言葉の意味をよく考えてみたい。だました側の責任を追求する仕事を否定しているわけではない、しかし、その前にもっと考えなければと訴えているというのがひとつ。

しかし、こういうことを言えば「声を上げなきゃ」「何かやらなきゃ」「沈黙は認めたことといっしょ」など、もろもろの言葉が返ってくるだろう。それはそれで正しい。では、どっちが正しいかという問題か? 違う。


万作はもっと別の次元を見ている。責任を追求した、その結果何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。本当に変わるということは、私たち自身が変わることではないのか。自己反省がなければ何も変わりはしないのではないのか。


万作との対話がもし可能であれば、おそらく以下の言葉とそう遠くない地平が見えてくると思われる。戦後加藤周一さんたちの前で軍歌のレコードを流した渡辺一夫の姿とも、水俣病をめぐって紡がれてきた多くの言葉とも、僕にとっては重なってくる。今朝2015年1月29日付の「朝日」の「論壇時評」から、武藤類子さんの言葉。「世界」2月号よりとあるが、孫引きで申し訳ない。


原発事故は、東電だけに責任があるわけではなく私たちにもある。でも、一億総懺悔のようにみんなが自分のせいだと思って終わりではだめなのです。自分を問いつつ、そしてやっぱり一義的に責任がある人にきちんと責任をとらせなければ、また同じことが繰り返される


万作のいう自己反省と、武藤さんがここで言っている「一億総懺悔」が、まったく異なるものであることは言うまでもない。自己の反省がそのまま国民としての反省につながるような、そういうスケールで考え抜かなくてはならない。





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# by todoroki-tetsu | 2015-01-29 20:00 | 批評系 | Trackback | Comments(0)

「書店」を論ずることに関する走り書き

特定の本をどう置くかあるいは置かないか、そうした「目に見えること」を成り立たせているなにものかを考えたいが、あまり時間はない。走り書きたるゆえんである。

一日の労働時間を考えてみる。人と職場によって違うだろうが、営業時間にかかわらず、僕の場合は売場を担当する場合には14時間労働がメインである。休憩時間は規程上1時間15分だが、実際には当然そんなことはない。週に1回は1時間とれる日がある。ゼロが2日ほど、あとは20~30分くらい。さて、この中でなにがどうできるだろう?

休憩時間をつぶして何をしているか。店出しに追われるならまだよいが、カウンターに追われていると何もできない。それが接客業ではあるのだが、店出しは合間合間の仕事になる。どの本をどの本の隣に置くか、考えている暇はない。とにかくさばく。棚づくり。そんな言葉もあったなとたまに思い出す程度。

発注は自動発注システムに任せる。売れ筋は頼まなきゃ入らないが、頼んだところで減数されるばかり。それでも最低限はとあの手この手でやりくりする。逆を言えば、そうしたことに専念するために自動発注システムがある。いきおいシステム頼み、取次頼みになっていく。

事前に新刊発注ができる(時間的にも力関係的にも)書店がどの程度あるのか知らない。本部的なところがすべての権限を有している場合もあるだろうから何とも言えぬが、現場任せになっているとして、さて実際どの程度できるか。毎日100枚はファックスがくる。返しているのは一日平均すると10枚程度。多いのか少ないのか知らないが、かなり返しているほうだとは思う。システム頼み、取次頼みを少し脱しようとしてできるのはせいぜいこんなところ。

判断のできる人間はいきおい人件費が高くなる。なので、要らない。自分も含めて。決まったことを決まったとおりにやれるスタッフさえ用意していればいい。採算を考えると、そうなる。自分たちの色を出そうとして時間と手間をかけて、採算をとれる書店とそうでない書店は、確かにある。

書店員の仕事。とにかく新刊を早く出すこと。売れ筋は早く出すこと。これはどんな書店員でも棚を持てば最初に叩き込まれることのひとつのはず。そこに内容に応じてどうこうなどと教える/教わることがどれほどあるか知らない。僕は教わらなかったし、教えない。売れるか売れないかだけ。内容を判断するのは顧客である。我々の仕事はとにかく早く出すこと。それである日突然「お前のところはこんな本を置いているのか」「こんな本も置いていないのか」と言われても困惑するのみである。

「こんな本も置いていないのか」のほうがやりやすい。完全買い切りでなければ置けばいいだけだ。「こんな本を置いているのか」と言われても困惑するのみ。そう言えば、ここまであれこれ騒ぎになる前に、いわゆる新左翼系の雑誌のライターを名乗る人から一方的に取材をねじ込まれてあれこれ書かれたこともあった。なんともいえぬ苦い思いが積み重なると、書店員の感覚は鈍化していく。誰が味方で誰が敵か。見たいものしか見ない、とうそぶいてみるのはたやすいが、それを自分に折り返してさあどうなるか。

ある出版社の企画会議にて。震災から1年が経とうかというころ、いわゆる震災本のラッシュについて、苦言を呈した書店がいくつか。僕もその一人だが、ある書店員は「出版されるということは書き手がいて、読み手がいることを想定して版元さんが作ってくれたはず。たくさん出すぎて困るなどとは私はいえない」と。書店員の模範解答である。揶揄する気で言うのではない。しかし、これが模範解答だとすれば、どうか。何が見えてくる?











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# by todoroki-tetsu | 2014-11-01 00:15 | 業界 | Trackback | Comments(0)

伊丹万作「戦争責任者の問題」其の七

だまされるということも一つの罪だ、と述べたのち、万作は別の角度からこの問題を見据える。


(略)いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
この単純素朴な一文に込められた意味は重く、豊かだ。どっちがか悪いということではない、かといって開き直りとは無縁。脊椎反射のような、威勢はよいが品と意味のない言葉の応酬を見つめなおすには格好の文章だ。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に事故の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

ここで日本の封建制云々という話が少しつづられる。かかる感覚はこの時代の知識人のある程度の層には共有されていたものと思われる。そこにある種の、そして何度目かの見直しやゆりもどしが来ているのが現代であるだろう。「近代の超克」が何を準備したのか、あるいはしなかったのか。もうじき上梓されるという若松英輔さんと中島岳志さんの対談本の仮タイトルが『現代の超克』(ミシマ社)となっているというのは実に示唆に富む。結果このタイトルに決するかどうかはさしたる問題ではない。言葉の上っ面ではないところでどこかで何かがつながっている。いや、引き受けるという言葉のほうがしっくりくるか。


さて、問題はそうした感覚を有したその先にどこに向かうか、である。丸山眞男なら? 渡辺一夫なら? 高島善哉なら? そして上原專祿は? みなそれぞれであり、簡単に論ぜられるものではないけれども、万作の向かうところはやはり文学的な印象を与える。それは渡辺一夫や上原專祿に感ずるものに近い。


万作は先に挙げた文章を引き継ぎ、「(日本)国民の奴隷根性」という厳しい言葉を用いた上でこう述べる。

それは少なくとも個人の尊厳の冒瀆、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

渡辺や上原の本を引っ張り出せば、おそらく比較の真似事はできよう。が、すでに若松英輔さんの連続講座で少しの訓練を経験したおかげで、それで何かを知った気になるのはまったく意味もないことだと判る。ここで何よりかみしめなければならないのは、個人の尊厳、自我と人間性が分かちがたく結びついているということ。人間性へのゆるぎない信頼と、それを裏切ってしまう不忠もまた存在するのだという冷徹なまなざし。しかしだからこそ信頼に依拠しようという決意。その信頼は、あくまで個としての人間ひとりひとりへのものであるが、それゆえに普遍的な人間性へも連なるものであるということ。人間性を「叡智」と置き換えてよい。



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# by todoroki-tetsu | 2014-07-23 00:34 | 批評系 | Trackback | Comments(0)